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使徒行伝 7章1〜8節 2013年5月9日 |
わたしたちの父祖アブラハムが、カランに住む前、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて仰せになった、『あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい』。(2〜3) ステパノは議会の中で語り始めます。アブラハムは、ユダヤ人たちが「父祖」として愛し慕っていた人物です。けれどもアブラハムが最初に主の御声を聞いたのは、彼がまだメソポタミヤにいた時でした。アブラハムはそこで、栄光の神と出会い、そのお言葉を聞いたのです。そして神はアブラハムをイスラエルの地に導かれました。しかし、実際には、アブラハムには土地は与えられず、アブラハムに与えられたのはただ、神の約束でした。そしてアブラハムはその神からの約束をその子ヤコブへ、そして十二人の孫たちへと手渡して言ったのです。
この七章の長いステパノの説教の中でステパノがまず繰り返し語ろうとしているのは、聖書の神は世界の神であって、エルサレムの神殿がなければ語ることができないとか、礼拝できないという方ではない、ということです。いわゆるギリシャ語を語るディアスポラ(離散)のユダヤ人の一人だったから、なおさらそのことを感じていたのかもしれません。
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使徒行伝 7章9〜16節 2013年5月10日 |
族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした。しかし、神は彼と共にいまして、あらゆる苦難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で恵みを与え、知恵をあらわさせた。(9〜10) 族長たちはヨセフをねたみます。ヨセフが父親から特別扱いされていたのはおもしろくないことでしたし、自分たちの悪いことをヨセフが父親に告げ口(?)するのにも腹が立ちましたし、ヨセフが自分たちの前でいばっているように思えたのです。ねたみとは本当に恐ろしいものです。後に人々は主イエスをねたんで、十字架につけてしまうことになるのです。
族長たちはヨセフをエジプトに売りとばしてしまいます。しかし、そのエジプトの地でも、神はヨセフと共にいてくださいました。そして彼をあらゆる苦難から救い出し、エジプトの宰相という地位を与えられたのでした。そしてききんの中で、父ヤコブと一族七十五人はエジプトに移住し、そこで死んで行きます。
エジプトはその当時の超大国です。多くの神々がまつられていたに違いありません。しかし、そこでも神は、真実にヤコブとその一族を守られたのです。
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使徒行伝 7章17〜22節 2013年5月11日 |
この王は、わたしたちの同族に対し策略をめぐらして、先祖たちを虐待し、その幼な子らを生かしておかないように捨てさせた。モーセが生れたのは、ちょうどこのころのことである。(19〜20) ヤコブとその子孫たちがエジプトにいたのは約四百年。それだけの期間、エジプトという超大国の中でイスラエル人としてのアイデンティティー、その自己認識・自覚を保っていくということだけでも、決してやさしいことではなかったことでしょう。また彼らが七十五人という少数者としてスタートしながら、ある意味、パロ王に脅威を与えるほどエジプト全土に増え広がっていたというのも、大きな驚きです。そして、加えて、彼らは四百年以上にわたって、神がアブラハムに与えられた約束を信じ続けていたというのもすばらしいことです。
ただ、そのような中でパロはイスラエルの民を虐待し、生まれた男の子を殺そうとします。しかし、そのような中で王の娘はモーセを拾いあげ、モーセにあらゆる学問を身につけさせます。王の非常に厳しい態度と、知恵をつくした弾圧にもかかわらず、神はイスラエルを救おうとされ、その厳しい、最悪の状況の中で、モーセを守り、その救いのご計画を実行しつつおられたのでした。
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使徒行伝 7章23〜29節 2013年5月12日 |
モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立った。・・・彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかった(23、25) モーセがエジプトの王女の子として、エジプト人のあらゆる学問を教え込まれたにもかかわらず、イスラエル人としての自覚を失わなかったのは本当に驚くべきことです。彼は四十歳にして自分の人生の目的を見いだし、また具体的な行動を起こすことを決断したのでした。彼は自分が立ち上がれば、他のイスラエル人たちも自分を受け入れ、また立ち上がってくれるだろうと思っていました。しかし、彼はあまりにも現実を知らず、また「人間」理解が浅かったのかもしれません。彼は逃げ出して、ミデアンの地に逃れたのでした。
彼はそこで結婚し、子どもが与えられ、四十年を家畜を飼う者として過ごしました。エジプト人の忌み嫌い、軽蔑していた職業です。
確かに自分の使命を自覚し、献身して立ち上がるというのは大切なことです。しかし、その前に、モーセは自分の無力さを知り、神の御腕に信頼するということを、時間をかけて学ぶ必要がありました。
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使徒行伝 7章30〜34節 2013年5月13日 |
シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。・・・主が彼に言われた、『・・・わたしは、・・・彼らを救い出すために下ってきたのである。さあ、今あなたをエジプトにつかわそう』。(30、33、34) モーセがミデアンに逃れて四十年がたちました。ある意味、モーセはイスラエル人をエジプトから救い出すなどとっくに忘れていたに違いありません。しかし、羊を飼っていたモーセがシナイ山のふもとに来た時に、神は燃えるしばの中からモーセに語りかけられました。そこはエルサレムではなく、神殿でもありませんでした。しかし、神はモーセに対して、「あなたの立っている場所は聖なる地である」と語られたのでした。
神はその場所でモーセに語り、モーセに対して「さあ、今、あなたをエジプトにつかわそう」とおっしゃいます。それは神ご自身がイスラエルの民の叫びを聞き、彼らを救うことを決断されたからです。そして、主はそのために自ら下ってこられたのです。
やがて、主イエスが来られた時もそうでした。主はその約束に従い、私たちを救うために、自ら下ってこられたからです。
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使徒行伝 7章35〜43節 2013年5月14日 |
この人が、シナイ山で、・・・荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、(38〜39) モーセは、イスラエルの民から捨てられ、排斥された人物でした。しかし、神はそんなモーセを選んで、その大切な働きをゆだね、支配者・解放者として遣わされたのでした。そして、このモーセはシナイ山で神の言葉を授かり、それをイスラエルの先祖たちに伝えました。しかし、先祖たちはモーセの語った神の言葉を退け、心の中でエジプトを慕い、偶像に仕えたのでした。
モーセは、やがての日、神が自分と同じようなひとりの預言者を立てられる、と主にあって預言しました。そして、モーセが語ったように神はイエスをこの世に遣わされました。主イエスは神の言葉を人々に語りました。しかし、モーセの時と同じように、人々は神の言葉を拒み、主イエスを退けたのです。
エジプトは豊かであり、文明や学問で栄えていました。私たちはしばしばこの世を慕い、神さえも拒み、退けてしまうのです。
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使徒行伝 7章44〜50節 2013年5月15日 |
しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。・・・『・・・どんな家をわたしのために建てるのか。・・・天はわたしの王座、地はわたしの足台である。これは皆わたしの手が造ったものではないか』。(48〜50) 次にステパノはイスラエルにおける神殿の歴史について語ります。もともとは神はいろいろなところで語り、またシナイ山でモーセに語られました。そしてモーセの時代に神はあかしの幕屋を造るようにと命じられました。このあかしの幕屋は言ってみれば神を礼拝する天の聖所の型だったとも言えるでしょう。そして、その幕屋はヨシュアに、そしてダビデに、と受け継がれていきました。
しかしダビデは神を礼拝するための恒久的な神殿を造りたいという願いをもっていました。ただそのことを実現させたのはダビデの子ソロモンでした。ソロモンはとても立派な神殿を建て上げました。世界中から来た人たちはその神殿に感嘆し、ソロモンの栄華を讃えたことでしょう。そして、このステパノの時代にはソロモンの神殿よりもさらに大きく見事なヘロデの時代の神殿がそびえ立っていました。けれども実際には栄光の主は、どんなすばらしい神殿にもおさまらないお方なのです。
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使徒行伝 7章50〜53節 2013年5月16日 |
ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。(51) ユダヤ人たちが誇りに思っているものが二つありました。一つは神殿であり、もう一つは律法でした。
しかしステパノが語ったのは、神は旧約聖書の時代から、世界中どこにあっても語られたお方だということです。ですからあエルサレムの神殿が特別とは、必ずしも言えないし、またエルサレムの神殿がどんなに立派ですばらしい建造物であっても、神はその中におさまるようなお方ではありません。ある意味、ギリシャ語を語る離散のユダヤ人を代表する一人だからこそ言える世界観であり、神観だとも言えます。
そして、ステパノは律法についても、律法が与えられ、そのことを誇り、そのことを自慢していたとしても、律法を与えられたイスラエルの歴史は、律法への反逆の歴史だったと言うのでした。このようにしてステパノはユダヤ人たち対して、非常に冷静に、しかし厳しく悔い改めを迫ったのでした。
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使徒行伝 7章54〜60節 2013年5月17日 |
そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。(56) ステパノの説教を聞いていた人たちは、自分たちの宗教的な歩みが神の御心にかなったものになっていないと鋭く切り込まれ、罪を指摘された時に、心から激しく怒り歯ぎしりをします。ステパノを通して神が語られた悔い改めへの迫りを拒み、その話はもう聞かない!と耳も心もふさぐのです。
怒り狂った猛獣のような人々の姿に対して、ステパノは静かで、聖霊に満たされ、天を見つめています。そして、彼は神の右に立っておられる主イエスの姿を見るのです。主イエスについては「神の右に座し」という表現も使われますが、ここでステパノが見たのは立ち上がっておられる主イエスの姿です。教会の歴史の中で最初の殉教者を迎えようとする中で、主は立ち上がってステパノを見つめておられたのでしょう。
ステパノは石を投げつけられていても、祈っています。自分に石を投げ続ける人々のためにもとりなしをします。その様子をサウロという若者が見ていました。彼はやがて主を信じ、偉大な宣教者に変えられていきます。
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