chuo@8008amen.com


バックナンバー

旧約聖書
新約聖書
マタイによる福音書
マルコによる福音書
ルカによる福音書
ヨハネによる福音書
使徒行伝
(章) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
  11 12 13 14 15 16
  17 18 19 20 21 22
  23 24 25 26 27 28
ローマ人への手紙
コリント人への第一の手紙
コリント人への第二の手紙
ガリラヤ人への手紙
エペソ人への手紙
ピリピ人への手紙
コロサイ人への手紙
テサロニケ人への第一の手紙
テサロニケ人への第二の手紙
テモテへの第一の手紙
テモテへの第二の手紙
テトスへの手紙
ピレモンへの手紙
ヘブル人への手紙
ヤコブの手紙
ペテロの第一の手紙
ペテロの第二の手紙
ヨハネの第一の手紙
ヨハネの第二の手紙
ヨハネの第三の手紙
ユダの手紙
ヨハネの黙示録
使徒行伝 5章1〜11節     2013年5月2日

アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。・・・あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。(3〜4)

 アナニヤとサッピラの夫婦も地所を持っていました。そしてバルナバが畑を売って献金をしているのを見て、自分たちもそうしようと決心をしました。最初はとても純粋な思いだったことでしょう。けれども、自分たちの地所が思いの外高く売れ、そして、実際にずっしりと重い金貨・銀貨を見た時に、手元に残しておきたいと思ったのです。そのこと自身は、自分の財産なのですから何の問題もありません。問題は、彼らが手元に残しておきながら、この値段で地所を売って、それを全部献げます、と嘘をついたということです。おそらく、その方が人々の賞賛を得ることができるだろうと考えたのでしょう。夫婦の他、誰も知らないはずでした。けれども、神は二人のことを見ておられました。
 二人は同じ日に神に裁かれて死んでしまいます。神を欺き、主の御霊を試みるということはとても恐ろしいことです。主の御前に真実な者たちでありたいと思います。

使徒行伝 5章12〜16節     2013年5月3日

そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。・・・民衆は彼らを尊敬していた。(12〜13)

 この頃、多くのしるしと奇跡とが使徒たちを通して行われていきます。病気の人たちがいやされ、また汚れた霊に取り憑かれていた人たちが、悪霊から解放されました。エルサレム付近の町々からも人々が集まってきて、ペテロの影でもいいから触れさせていただきたいと思ったほどでした。
 もちろん、エルサレム中の人たちがイエスさまを信じるようになったということではありませんでした。かえって、主イエスを信じたいという思いがあっても、指導者たちの顔色を見たらその信仰を公にできない、という人たちも多かったことでしょう。
 けれども、人々は主イエスを信じる人たちを尊敬していましたし、また主を信じて仲間に加わる人たちがどんどん多くなっていったのです。私たちの周りにいる人たちは私たちがクリスチャンであることを知っているでしょうか。そして、私たちは教会の外にいる人たちにどんな証しを立てているでしょうか。

使徒行伝 5章17〜20節     2013年5月4日

「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。(20)

 主イエスを信じる人たちがどんどん増えていく中で、そのことを面白く思わない人たちもたくさんいました。特に教会の最初の歩みにおいて、教会迫害の急先鋒に立ったのは、神殿礼拝をつかさどる大祭司やその仲間、サドカイ派の人たちでした。サドカイ人たちはイエスを処刑してひと安心していたのです。ところが弟子たちは、そのイエスこそが救い主、メシヤであると言い、またそのイエスはよみがえったと言っているのです。私たちの感覚からすると礼拝をつかさどる人々がなぜ、ととても不思議に感じるのですが、サドカイ人たちは霊だとか、天使だとか、復活など全く信じていませんでした。
 彼らはとうとう強硬手段に出ます。十二使徒たちを捕らえて裁判にかけて罰しようとしたのです。けれども、主はその夜、使いを遣わして彼らを救い出されたのでした。御使いは使徒たちに、隠れていなさいとは言いません。この命の言葉をもれなく人々に語るようにと、言ったのです。

使徒行伝 5章21〜32節     2013年5月5日

人間に従うよりは、神に従うべきである。(29)

 使徒たちは御使いが伝えた主の言葉の通りに、朝早くから宮に上って、人々を教え、主イエスが成し遂げてくださった救いの御業について語りました。使徒たちを議会に引き出そうとして人々は仰天します。確かに獄の戸にはしっかりと錠がかけられており、また入り口の番人は眠ってしまうことなくしっかりと番をしていたのですが獄の中は空っぽだったからです。
 宮守がしらは下役をと一緒に、使徒たちを議会へと連れてきます。大祭司はとてもいらいらしながら、厳しい調子で使徒たちを詰問します。エルサレム中にその教えがはんらんしている・・・というのは事実だったのでしょう。弟子たちは集まって主イエスを礼拝していましたし、使徒たちはとても大胆に主イエスの十字架と復活について語っていたからです。
 主イエスの名を使ってはいけない・・・そのように大祭司は語ります。しかし、ペテロたちは、どれだけ語るなと言われても、語らないわけにはいきません。神が使徒たちに語れとおっしゃっていたからです。

使徒行伝 5章33〜42節     2013年5月6日

使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。そして、毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。(41〜42)

 ペテロの発言は、議会にいた多くの人たちの怒りに火をつけました。しかし、パリサイ人であり、国民全体に尊敬されていた教師であったガマリエルが発言を求めます。ガマリエルはパウロを育てた教師としても有名です。
 彼はサドカイ派の人々よりもずっと冷静でした。彼はその当時、まだ人々の記憶に残っていたいくつかの事例を挙げながら、人間から出たものなら自滅するから、放置しておくようにと勧めます。そして同時に、ガマリエルは、主イエスの弟子たちの姿にただならないものを感じながら、「もし神から出たものなら」と語って、この教会の働きが神から出たものかもしれないと、指導的な立場にありながら、その可能性を認めたのでした。
 使徒たちはさらに脅され、むち打たれてから釈放されます。しかし、彼らはかえって、御名のために恥を加えられたということを喜び、引き続き、主イエスのことを教え続けたのでした。主イエスの福音は二千年後の今も宣べ伝えられ、多くの人の生涯を変え続けています。


礼拝メッセージ
毎週日曜日の
礼拝での
メッセージから


生活の処方箋
日々を楽しく過ごす
ためのヒントが
ここに