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使徒行伝 16章1〜5節     2013年6月26日

それから、彼はデルベに行き、次にルステラに行った。そこにテモテという名の弟子がいた。信者のユダヤ婦人を母とし、ギリシヤ人を父としており、ルステラとイコニオムの兄弟たちの間で、評判のよい人物であった。(1〜2)

 パウロはアンテオケ教会からシラスと一緒に出発します。このシラスはエルサレム教会の信頼の厚い人物で、エルサレム会議の後、そちらの教会の代表の一人としてアンテオケに来ていたのです。
 さてパウロとシラスは陸伝いにデルベ、そしてルステラにやって来ました。ルステラは第一回目の伝道旅行で生まれた時から足の不自由な人がいやされて歩き出したことをきっかけに町中が大騒ぎになった町です。しかし、パウロはおそらく、一回目の伝道旅行の時にその町で出会った青年のことを覚えていたのでしょう。おばあちゃんも、お母さんも神を恐れる人で、テモテという弟子だったのですが、彼自身もその信仰の歩みのゆえに評判のよい青年でした。パウロはこのテモテを連れて行きたいと思いました。一緒に同行させる中で、彼を訓練し、いろいろなことを教えたいと思ったのでしょう。そしてテモテはそんなパウロの願いと祈りの通りに育っていったのでした。

使徒行伝 16章6〜10節     2013年6月27日

ここで夜、パウロは一つの幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と、彼に懇願するのであった。(9)

 パウロはアジア州で御言を語ろうと思いましたが聖霊がこれを禁じられました。また北方のビデニヤに進んで行こうとしたのですが、それも御霊が許されませんでした。パウロは御言を語ろうとしていたのです。御霊が御言を語ることを禁じられたということは私たちは理解しがたいことです。聖霊がパウロに語りかけられたのか、または様々な状況の中で、その道が閉ざされていったのかは分かりません。学者たちの中には、パウロの健康の問題があったのではないかとも言います。
 しかし、西に道を進んでトロアスまで来た時、パウロは夢を見ます。一人のマケドニヤ人が「マケドニヤにわたってきて、わたしたちを助けて下さい」と懇願する夢でした。パウロはこのことを神からの導きと受け止めてマケドニヤに進んでいきます。今のギリシャの北方の地方です。私たちに対しても、「わたしたちを助けて下さい」と叫んでいる人たちはいないでしょうか。

使徒行伝 16章11〜15節     2013年6月28日

ところが、テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた。そして、この婦人もその家族も、共にバプテスマを受けた(14〜15)

 パウロは新しい町を訪ねた時はまずその町のユダヤ人たちを訪ねました。その町にある程度の数のユダヤ人たちがいればユダヤ教の会堂がありましたので、そこに顔を出します。またもし、ユダヤ教の会堂がない時には、ユダヤ人たちは川のほとりを祈り場としていましたから、そこを訪ねたのです。
 パウロたちがマケドニヤ第一の都市ピリピを訪ねた時、そこには会堂がなかったので、彼らは川に行き、そこでテアテラ市の紫布商人ルデヤに出会います。不思議な事でしたが、このテアテラとはパウロが御言を語ることを禁じられたアジアの都市でした。パウロは離れたピリピの町でアジア伝道をしていたとも言えます。
 ルデアは主を信じ、家族ぐるみでバプテスマを受けたのでした。ルデアとその家族はその後もパウロの良き理解者、またその宣教を経済的に支えたサポーターであったことでしょう。

使徒行伝 16章16〜18節     2013年6月29日

パウロは困りはてて、その霊にむかい「イエス・キリストの名によって命じる。その女から出て行け」と言った。すると、その瞬間に霊が女から出て行った。(18)

 さてピリピの町に占いの霊につかれた一人の女奴隷がいました。聖書の中では占いは神の嫌われることとされています(レビ十九26、マラキ三5など)。それはこれから何が起ころうとも神に信頼して歩もうとする信仰と相反するものですし、また多くの場合、占いは様々な異教の風習と深くむすびついていたからです。
 彼女がどのような経緯でこの霊につかれてしまったのかは分かりません。最初は少しずつだったかもしれませんが、心を奪われていって、この時にはすっかり占いの霊の支配の下に置かれ、その霊の力でこれから起こることを占い、それが評判を呼んで、多くの利益を主人にもたらしていました。
 しかし彼女の中にいる霊は、パウロを見た時に、彼の働きを邪魔しようとします。パウロはこの女性から、彼女を縛り付けている占いの霊を追い出して彼女を自由にしたのでした。

使徒行伝 16章19〜25節     2013年6月30日

真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。(25)

 パウロがこの女奴隷から占いの霊を追い出した時、彼女によって利益を得ていた主人は怒り狂い、パウロとシラスに対してあることないことを言って、二人を捕らえ、彼らに対して重罪を申し立てて、彼らをピリピの町の牢獄に入れてしまいます。彼らは何度もむち打たれ、足かせをはめられ、動けないように拘束され、暗い奥の牢屋に入れられます。
 パウロたちは人を悪の霊から自由にしたのに、迫害を受けて、ひどい目にあわされ、投獄されてしまったのでした。むち打ちの後のひどい痛みの中で、神を恨み人を恨んでも当然でしょう。しかし、彼らはそのひどい扱いの中でも、神に祈り、賛美し続けていたのでした。聖書はその暗い、真夜中の牢獄の中で、囚人たちが耳をすまして聞き入っていたと言います。おとなしく寝ていろ、と言いたくなるような場面の中、重罪人たちが、パウロたちの賛美と祈りによって慰められ、また神の恵みを受け取ろうしていたのでしょう。

使徒行伝 16章26〜34節     2013年7月1日

主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。(31)

 真夜中頃、ピリピの町でとんでもないことが起きます。大地震が起こって、獄の戸が開き、また囚人たちをつないでいた鎖がとけてしまったのです。単なる自然現象と言うよりも、神が介入されたことによる奇跡がそこに起こっていました。獄屋番は飛び起きて獄に急ぎますが、獄の戸が開いてしまっているのを見て、死を覚悟し、自死をはかります。囚人たちを逃がしてしまったら、獄屋番は囚人の負うべき刑罰を代わりに負って死ななければならなかったからです。
 しかし、獄の奥の方から声がします。自害してはいけない。私たちはみなここにいる。獄の戸が開いてしまっていたにもかかわらず、誰も逃げだした者はいませんでした。あり得ないことが起きていました。この獄屋番はパウロたちの前にひれ伏します。確かにここで獄屋番は命拾いしました。パウロは囚人でしたが、彼は自由です。しかし、彼は自分が神の救いを必要ようとしている者であることを認めたのでした。主イエスを信じなさい、という呼びかけに、彼は、その夜、家族と共に主イエスを信じたのでした。

使徒行伝 16章35〜40節     2013年7月2日

ところが、パウロは警吏らに言った、「彼らは、ローマ人であるわれわれを、裁判にかけもせずに、公衆の前でむち打ったあげく、獄に入れてしまった。しかるに今になって、ひそかに、われわれを出そうとするのか・・・・・・」。(37)

 夜が明けた時、その夜の出来事を何も知らない長官たちはパウロとシラスを隠密理に釈放し、ピリピの町から去らせようとします。長官たちにとっては騒ぎが大きくなると、自分たちの統治能力に疑問符がつけられてしまいかねません。その意味でも、彼らはパウロたちに早くいなくなってほしかったのでしょう。
 そのような長官たちの態度にパウロはかみつきます。自分たちはローマ人であるのに、裁判にかけもしないでむち打ちという侮辱を加え、その上、今度は何もなかったかのように釈放するとは何事かというのです。
 この当時、ローマの市民権を持っているということはとても大きなことでした。そしてパウロがローマ市民であるということが時にパウロの身を守り、またその宣教の働きを利することになります。
 さて、私たちは天に国籍を持つ者・天国市民です。喜びと確信をもって力強い歩みをしたいと思います。



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