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Uコリント 1章1〜7節     2014年1月2日

ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり・・・。(3〜4)

 今日からコリント人への第二の手紙を読んでいきます。コリント教会の多くの問題に非常に危機意識を持って第一の手紙を書き送り、テモテを遣わしたパウロでしたが、問題は解決しません。パウロはコリントの教会に「悲しみの手紙」(現存していません)と呼ばれる厳しい手紙を書き送り、また自分自身も短期間ではありましたがコリントを訪問します(「悲しみの訪問」)。パウロはエペソに戻りますが、コリントの教会のことが心配でなりません。今度はコリントにテトスを遣わします。そして、パウロがエペソを離れてマケドニヤに移動していたとき、テトスが戻って来て、コリントの教会の人々が悔い改めている、という知らせをもたらしたのでした。そのような背景の中でパウロはこの第二の手紙を書いています。
 この手紙の基調は「慰め」です。悔い改めて、主に近づいていたコリントの人々にパウロは慰めを語ります。主は慰めの神です。そして、この方は私たちを慰めて下さると共に、私たちを慰め手としても用いて下さるのです。

Uコリント 1章8〜11節     2014年1月3日

主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。(8)

 パウロはここで、第三次伝道旅行で一番多くの時間を費やしたエペソでの苦難について語っています(エペソはアジア州の首都でした。そしてパウロはこの町で二年三ヶ月ほどの期間伝道しました)。確かにエペソでは多くの人々が信仰を持ち、その生き方が変わっていきました。しかし同時に多くの困難もあり、アルテミス女神を信じる人々との衝突もあって、非常に危険な場面を通ったのです。パウロたちは死を覚悟し、生きる望みを失います。しかし、そのような困難の中で、パウロたちは自分がどんなに頼りにならないかを悟り、またたとい自分が死ななければならないということがあったとしても、なおも信じ、頼ることのできる神がおられることを知るようになったのでした。
 神はパウロたちを救い出してくださいました。そして、またパウロは、自分たちがそのような中から救い出された背後に、コリント教会のキリスト者たちの祈りがあったことも知っていたのでした。

Uコリント 1章12〜14節     2014年1月4日

わたしたちの主イエスの日には、あなたがたがわたしたちの誇であるように、わたしたちもあなたがたの誇なのである。(14)

 パウロは誇りをもって行動していました。しかし、彼の誇りは、自分がどれだけ知恵があって優秀であり、どれだけ多くの努力をしているかということではありませんでした。それは神の恵みでした。しかし、神の恵みによって生きるということは、自分では何もしないでぼーっとしているということではありません。神の恵み、神の御真実にお応えして生きていくということは、ある意味、厳しいことでもあります。
 そして、そんなパウロの祈りと労との結実がまさに、コリント教会の人々だったのです。ですからパウロは、コリント教会の人々に対して、「あなたがたがわたしたちの誇り」とさえ言うのです。私たちが、今、こうして信仰者として歩むことができているのも、また多くの先輩たちが労してくれたその働きの実であると言えます。そして、私たちが信仰者として生きていることが、そういった働き人たち、祈り手たちの喜びであり、また誇りなのです。

Uコリント 1章15〜22節     2014年1月5日

あなたがたと共にわたしたちを、キリストのうちに堅くささえ、油をそそいで下さったのは、神である。神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。(21〜22) 

 パウロはコリント訪問の計画を途中で修正したようです。今日の箇所の最初の部分で、自分の計画は肉の思いから出たもの、軽率なものだったのだろうかと、問いかけているのにはそのような経緯があります。もちろん、パウロは軽率なものの言い方はしなかったはずです。「もし神が許されるなら」というのはパウロの日頃からのスタンスでしたし、コリントの人々に対してもできない約束はしていなかったはずです。パウロはコリントの教会に対してどこまでも真実でした。
 そして、それはまさに神ご自身の姿でもありました。神は私たちのために、キリストを送り、そのキリストによってその約束を成就なさいました。そして、神は主を信じた私たちを堅く支えてくださり、また神が確かに救っていてくださるということの保証として聖霊を与えてくださったのです。そのような確かさの中に私たちは置かれているのです。

Uコリント 1章23〜24節     2014年1月6日

わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎない。あなたがたは、信仰に堅く立っているからである。(24)

 パウロがこの時点でコリントにいなかったのは、それなりの理由のあることでした。パウロはコリントの教会の抱えている様々な問題に頭を痛めていましたが、同時に、コリント教会の人々の信仰の歩みを支配し、上から押さえつけてコントロールしようとはしていませんでした。
 パウロはどこまでも、コリント教会の人々のことを共に働く同労者として見ています。パウロはまさに、コリントの人々が主にあって喜びに満たされて生きるために仕えていたのです。特に第一の手紙と第二の手紙の間に、彼らが悔い改め、罪に対して非常に厳しい対応をしていく中で、パウロは、コリントの人たちが信仰に堅く立っているのを喜びをもって見守っていました。
 私たちもまた誰かが信仰に堅く立つために、誰かが信仰の喜びに生きるために、共に仕え、共に働く者であるようにと期待されているのではないでしょうか。 



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