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使徒行伝 12章1〜5節     2013年6月7日

こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈が神にささげられた。(5)

 ここで出てくるヘロデ王とは、主イエスが生まれた頃ユダヤを治めていたヘロデ大王の孫にあたります。彼はローマの支持の中、王の称号を与えられ、所領を加えられて、この当時パレスチナ全土を治めるようになっていました。そして彼は自分の地位を確固たるものとするために、ユダヤ人たちの人気取りとなる政策を行います。その一つが教会に対する迫害でした。彼はヨハネの兄弟ヤコブを殺害します。ヤコブは主イエスが十二弟子の中で特に手をかけて育てられた三人のうちの一人でしたが、十二使徒の中で最初の殉教者となります。
 そしてヘロデは次にペテロを捕らえ、投獄します。教会では、ペテロのために熱心な祈りがささげられていたのでした。ヤコブの時には祈っていなかったということではなかったでしょう。教会はその当時の社会の中で政治的にはあまりにも小さな存在でした。力もありませんでした。しかし、教会には祈るという大きな特権が与えられていました。

使徒行伝 12章6〜11節     2013年6月8日

その時ペテロはわれにかえって言った、「今はじめて、ほんとうのことがわかった。主が御使をつかわして、ヘロデの手から、またユダヤ人たちの待ちもうけていたあらゆる災から、わたしを救い出して下さったのだ」。(11)

 ヘロデが明日にはペテロを引き出して処刑しようとしていたその夜、ペテロはふたりの兵卒たちの間に挟まれるようにして眠っていました。ペテロ自身もヤコブが殉教し、自分の命も非常に大きな危険の中に置かれていることを知っていました。けれども、ペテロは眠っています。ペテロは自分が力のある神の御手の中に置かれているということ、また教会が自分のために祈っていてくれていることを知っていたのでしょう。
 そんな夜中に、御使いがペテロのそばに立ち、脇腹をつついて寝ていたペテロを起こします。そして御使いは第一の衛所、第二の衛所、そして町に抜ける鉄門を通ってペテロを外に導き出します。あり得ないことが起こっていました。ペテロはまるで夢を見ているように感じていたことでしょう。そして、彼が鉄門の外に出た時に、彼は主が御使いを遣わして自分を救い出してくださったことを知ったのでした。

使徒行伝 12章12〜17節     2013年6月9日

ペテロはこうとわかってから、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家に行った。その家には大ぜいの人が集まって祈っていた。(12)

 真夜中であったにもかかわらず、エルサレムのキリスト者たちはマルコの母マリヤの家に集まってお祈りをしていました。このころはまだ教会としての建物はなく、家を会場に集まって祈っていたのです。この部屋は最初に聖霊が下られた部屋、またさかのぼると、主イエスが弟子たちと一緒に最後の晩餐をした部屋と言われています。
 ペテロはその家に兄弟姉妹たちが集まっていたことを知っていたのかもしれません。その家の門をたたきます。女中のロダは取り次ぎに出て、ペテロだと知って大喜びで家の中のみんなに伝えます。しかし、みんなは信じません。「気が狂っている」「ペテロの御使いだろう」と言い出す始末です。祈っていたのですが、正直、神がそのように答えてくださると信じ、期待してはいなかったのです。
 私たちは祈りながら、神がその祈りに答えてくださると、どれだけ信じているでしょうか。

使徒行伝 12章18〜25節     2013年6月10日

するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。(23)

 夜が明けた時、ペテロが獄中から消えた、ということで大騒ぎになります。ペテロを引き出して処罰しようとしていたヘロデ王はとんだ大恥をかくことになります。しかし、ヘロデ王がそこで謙虚になって悔い改めることはありませんでした。
 その後、ヘロデ王はカイザリヤに滞在しますが、ツロとシドンの人々がヘロデ王のご機嫌を取りに来ます。ヘロデ王は王服を着て、人々の前で演説をします。人々は「神の声だ!」と叫び続けるのでした。ヘロデ王はますます得意になって語り続けるのですが、彼はその演説の最中、虫にかまれてあっけなく命を落とします。聖書は「神に栄光を帰することをしなかったから」と言います。
 王である彼も、あくまでも、神にその権威を与えられ、その支配を託されているにすぎなかったのです。私たちが権威を託されたり、また賜物を与えられ、また賞賛を受けることがあったとしても、私たちにとって大切なのは、神の前に身を低くし、人の前でも謙虚であり続けることです。


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