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Uテモテ 1章1〜7節 2014年6月25日 |
神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。(7) このテモテへの第二の手紙はパウロの書いた手紙の中で残されている最後のものです。パウロは自分の殉教が近づいていることを知り、覚悟を決めながら、なおテモテにもう一度会って彼を教え、また共に祈ることを願いつつ、この手紙を書いています。まさに、この手紙はパウロが愛する弟子であり、若い伝道者であったテモテに書き送った遺言なのです。
パウロはテモテの中にある信仰を「偽りのないもの」として思い起こしています。テモテは祖母ロイス、母ユニケの信仰を受け継ぎ、幼い頃から聖書に親しんでいました。そしてパウロは青年テモテを自分の伝道旅行に同行させて、まさに寝食を共にして教え育てたのでした。
しかし、パウロは彼の姿勢の中に、以前と違ったもう一度燃やされるべきものを見ています。テモテの中に臆する霊が忍び込んでいるのを感じたのかもしれません。ですからパウロは神からいただいた力と愛と慎みとの霊を思い起こし、また求めるべきことを勧めるのです。
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Uテモテ 1章8〜14節 2014年6月26日 |
わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信している(12) パウロはローマで再び囚われの身になっていました。パウロはそんな自分を見捨てて離れていく人々が多いことも知っていました。人は誰かが成功し、人望もお金も権力も握っているときにはその人のところに集まって来ますが、いざその人が社会から見捨てられ、落ち目になってくると、潮が引くように離れていくものです。けれどもパウロはテモテに、福音のために私と苦しみを共にしてほしい、と求めます。
決してやさしい時代ではありません。けれどもパウロは神の力は、そのような困難の中にあっても私たちを支えることができること、私たちの内に宿っている聖霊がそのことをしてくださることを知っていました。困難の中にあって、私たちを守り支えるのは、私たちの勇気や覚悟ではありません。私たちが信じるお方が私たちを守り、最後の日に至るまで、私たちを支えてくださるのです。
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Uテモテ 1章15〜18節 2014年6月27日 |
彼はたびたび、わたしを慰めてくれ、またわたしの鎖を恥とも思わないで、ローマに着いた時には、熱心にわたしを捜しまわった末、尋ね出してくれた(16〜17)
パウロは「アジアにいる者たちは皆わたしから離れて行った」と語ります。フゲロとヘルモゲネの二人は、テモテもよく知っていた人物であったはずです。困難のなかに置かれるときに、その人の本質が出てしまうのかもしれません。さすがのパウロにとっても、親しくしていた人々が自分を見捨てて去って行くのはとても大きなストレスだったはずです。とくにその人々が信仰からも離れて行ってしまったとしたら、その戸惑いや悲しみはどれほどだったことでしょう。
しかし、そのような中にあっても、神はパウロのために慰め手を備えてくださっていました。パウロはここでオネシポロのことを思い起こします。オネシポロはテモテのいたエペソにいたのですが、囚われの身であったパウロを捜し、訪ねてくれたのでした。オネシポロの家にもいろいろな問題があったことでしょう。彼もまた主のあわれみを必要としていました。しかし、彼は家族ぐるみでパウロのために犠牲を払い、また彼のそばに寄り添ってくれたのです。
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