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使徒行伝 17章1〜9節     2013年7月3日

キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。(3) 

 パウロは次にテサロニケの町に行きます。テサロニケには、ピリピの町になかったユダヤ教の会堂がありました。パウロはその会堂に入って、三回の安息日にわたって、聖書に基づいて人々を教えます。旧約聖書に約束されていた救い主は必ず苦しみを受け、そして死んでよみがえることを聖書によって教え、だから、死人の中からよみがえってくださったイエスこそが、メシヤ、キリストであると語ったのです。
 パウロたちの話を聞いて信じる人々が起こされていきました。そしてギリシャ人たちや貴婦人の中からも信じる者たちが起こされていった時、ユダヤ人たちはそれをねたましく思って騒ぎを起こし、パウロとシラスに危害を加えようとしたのでした。彼らはパウロたちのことを「天下をかき回してきたこの人たち」と言います。私たちはどのように福音を伝えているでしょうか。そして人々は私たちをどのように呼ぶでしょうか。パウロがその町にいたのは本当に短い期間でした。けれども、その町に教会が生まれていったのでした。

使徒行伝 17章10〜15節     2013年7月4日

ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。(11〜12)

 パウロたちは兄弟たちに見送られて夜のうちにベレヤに出発しました。ベレヤの町にもユダヤ教の会堂がありました。パウロは会堂に入っていって、人々に主イエスのことを伝えます。ベレヤの人々はパウロの話を聞いた時に、自分たちでも聖書を開き、聖書を調べて、その話を確認していきました。私たちにとっても、信仰の土台は聖書の御言です。聖書の中に書かれているから確かなのです。
 そして、聖書を開いて確認して行く中で、多くの人々が主を信じていきます。またギリシャ人たちの中からも、主イエスを信じる者たちが起こされていったのでした。しかし、テサロニケで騒動を起こしたユダヤ人たちはベレヤにもやって来て騒動を起こします。
 そのような中でパウロはひとり海路アテネに向かいます。シラスとテモテはそこに残って、しばらくその地方の教会を支える働きをしたのでしょう。

使徒行伝 17章16〜34節     2013年7月5日

神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。(25〜26)

 アテネの町は哲学の都でした。そしてその町の人たちは仕事は奴隷たちにまかせて、自分たちは毎日勉強をしたり議論を戦わせていたりしたのでした。しかしその知恵の都は同時に偶像にあふれた町でした。ありとあらゆる偶像の神々がまつられている中には、「知られない神に」という祭壇さえあるほどでした。
 パウロは会堂で教え、また広場で毎日、そこで出会う人たちと議論をしました。やがてパウロのことが評判になるようになり、彼はアレオパゴスの評議所で語ることを許されたのでした。彼は、アテネの人たちの知性に訴えるような説教をします。確かに彼らは聖書も、聖書の神も知らなかったかもしれない。でも、人や時代、国の存在は神の存在を指し示しています。そして、パウロは主イエスの死と復活を語ろうとしたのでした。しかし、パウロが復活について語り始めたとたん、人々は離れていったのでした。



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