chuo@8008amen.com


バックナンバー

旧約聖書
新約聖書
マタイによる福音書
マルコによる福音書
ルカによる福音書
ヨハネによる福音書
使徒行伝
(章) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
  11 12 13 14 15 16
  17 18 19 20 21 22
  23 24 25 26 27 28
ローマ人への手紙
コリント人への第一の手紙
コリント人への第二の手紙
ガリラヤ人への手紙
エペソ人への手紙
ピリピ人への手紙
コロサイ人への手紙
テサロニケ人への第一の手紙
テサロニケ人への第二の手紙
テモテへの第一の手紙
テモテへの第二の手紙
テトスへの手紙
ピレモンへの手紙
ヘブル人への手紙
ヤコブの手紙
ペテロの第一の手紙
ペテロの第二の手紙
ヨハネの第一の手紙
ヨハネの第二の手紙
ヨハネの第三の手紙
ユダの手紙
ヨハネの黙示録
使徒行伝 20章1〜6節     2013年7月15日

プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、それからテモテ、またアジヤ人テキコとトロピモがパウロの同行者であった。(4) 

 デメテリオの起こした暴動のゆえに、パウロはもうエペソにはいられなくなります。ある意味、神はパウロをさらに旅に進ませようとしておられたのです。パウロは聖霊に示されていたように、マケドニヤに行き、そしてギリシャに向かいます。おそらく、コリント教会などを訪ねたのでしょう。
 パウロはこのギリシャからシリヤに向けて出帆しようとしたようですが、パウロに対する陰謀が発覚し、マケドニヤ経由にルートを変更します。
 ここにパウロの同行者たちのリストがあります。ベレヤやテサロニケはマケドニヤ地方、デルベとテモテの故郷ルステラはガラテヤ地方、そしてエペソを中心としたアジア地方など各地の教会の代表者たちがパウロに同行します。パウロは異邦人教会からの献金と共に異邦人教会の代表者たちを伴っていくことによって、異邦人教会とエルサレム教会の間に主にある交わりと一致を願っていたのでしょう。

使徒行伝 20章7〜12節     2013年7月16日

そこでパウロは降りてきて、若者の上に身をかがめ、彼を抱きあげて、「騒ぐことはない。まだ命がある」と言った。(10)

 「週の初めの日」というのは日曜日です。クリスチャンたちは主イエスがよみがえられた日曜日に集まって神を礼拝していました。「パンをさくために」というのは聖餐式を意味しているだろうとされています。トロアス滞在の最終日、次の日には出発するということで、パウロは夜遅くまで人々と語り合っていました。
 一人の青年が窓に腰をかけてパウロの話を聞いていましたが、話が長くなってうとうとし出しました。そして、ぐっすり寝入ってしまい、三階から下に落ちてしまったのでした。人々が驚いて下に降りてみると、若者は死んでいました。ペテロも降りてきて、その若者を抱きかかえます。そして「騒ぐな、まだ命がある」と言ったのでした。不思議な事に、若者は立ち上がりました。生き返ったのです。
 人々は「慰められた」と使徒行伝の記者は語ります。これは教会に与えられた神の恵みのしるしでした。

使徒行伝 20章13〜21節     2013年7月17日

わたしが、・・・・・・いつもあなたがたとどんなふうに過ごしてきたか、よくご存じである。すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた。(18〜19)

 パウロは舟でミレトに着き、そこからエペソに使いを遣わして長老たちを呼び寄せます。パウロは三年近くエペソにとどまって、伝道し、また教会を指導してきました。そしてパウロは自分が今後エペソに行くことはもうないだろうと感じています。その意味でも、パウロはどれだけエペソを訪ねて人々に語りかけたかっただろうかとも思います。けれどもパウロは道を急いでいました。
 パウロは長老たちに語りかけ、自分がエペソでどのような働きをしてきたか、またどのようなキリストの僕としての生き方をしてきたかを思い起こさせます。
 パウロはエペソにあっても数々の試練の中に置かれました。パウロに対するさまざまな陰謀がありました。しかし、パウロは主に仕えてきました。主に仕えるということは同時に、謙遜の限りを尽くしてエペソの人々に仕え、彼らを愛して涙の祈りをささげていくということでした。パウロはユダヤ人に対してもギリシャ人に対しても同じように仕えてきたのでした。

使徒行伝 20章22〜27節     2013年7月18日

しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。(24)

 パウロは今、エルサレムに向かおうとしていました。パウロは「御霊に迫られて」と言います。各地におけるパウロの宣教に対してユダヤ人たちからの反発と迫害があったことからしても、パウロのエルサレム行きには大きな危険が伴っていることは火を見るよりも明らかでした。パウロ自身も投獄と患難とが自分を待ち受けていることを覚悟しています。
 しかし、にもかかわらず、パウロはエルサレムに上ります。パウロは自分の命が惜しいとか、危険を避けたいとか思ってはいませんでした。少なくとも、それが彼を突き動かす第一の動機ではありませんでした。パウロは自分には、自分の走るべき行程、果たすべき任務があると言います。それは、神のめぐみの福音を証しするということだったのです。もし、そのことさえかなうなら、他のことは大きな問題ではない、パウロはそのように感じていました。私たちを動かしている動機は一体何なのでしょうか。

使徒行伝 20章28〜31節     2013年7月19日

どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。(28)

 パウロはもう自分が直接エペソの町を訪ね、教会を指導することはないだろうと考えています。またパウロがいつまでもエペソの教会に関わり続けることはいずれにしても無理でしょう。たとえばある教会がカリスマ的な非常に優れた指導者の下で生まれ成長していったとしても、やがてはリーダーシップは次の世代に手渡されていかなければなりません。パウロは自分の前にいる長老たちにエペソ教会のこれからの歩みをゆだねます。
 パウロが最初に語ったのは、まず自分自身に気をつけるということでした。人を支え、助けることばかり考えていると、自分自身の魂のケアをすることを忘れがちだからです。そして次に、すべての群に気を配るのです。教会の内外から狼がやって来たり、間違ったことを教える者たちが起きてくるからです。目を覚まし、夜も昼も群のために涙を流し、祈り、指導する指導者たちが教会には必要なのです。

使徒行伝 20章32〜38節     2013年7月20日

今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。(32)

 あとはまかせるからと、パウロに言われて、エペソの長老たちに不安がなかったと言ったら嘘になるでしょう。パウロの代わりがいったい誰に務まるでしょうか。けれども、パウロのうちには不安はありません。彼は「主とその恵みの言」とにあながたをゆだねると言います。人間的には確かに多くの困難があるかもしれません。頼りになるかというと、おぼつかないかもしれません。しかし、主は群を守ることがおできになります。またその恵みの言はエペソ教会を豊かな恵みの内に導いていくことでしょう。パウロは言います。御言はあなたがたの徳を立てる。そして、私たちの生涯を導いて、やがて主にあって選ばれ、あがなわれ、主のものとされた主の民と共に、喜びのうちに御国をつがせてくださるのです。そしてパウロは、その御言に導かれる歩みというのがとても日常的で地道な歩みであることも彼らに対して語り、勧めるのでした。



礼拝メッセージ
毎週日曜日の
礼拝での
メッセージから


生活の処方箋
日々を楽しく過ごす
ためのヒントが
ここに