人の罪と神の憐れみ マタイ 1章7〜11節
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。 (ローマ 5:8)
ここにあるのはダビデ王朝の王たちの系図でもあります。
1 人の罪深さ
ダビデは神に選ばれ、愛された人でした。しかし、彼は決して完璧な人ではありませんでした。ここで、ウリヤの妻によるソロモンの父と言います。ダビデの妻ではなくウリヤの妻だったのです。ダビデは王となった時、自分の部下の妻であったバテシバと関係を持ち、バテシバが妊娠したと知るや、ウリヤを殺し、バテシバを自分の妻としたのでした。これは明らかに神に愛された人ダビデの大きな罪でした。
ここに出てくるのはダビデの子どもたちも系図です。しかしダビデにしてそのようなことだったのです。その後の系図に名を連ねる王たちも、いろいろな弱さを抱え、また罪を犯し続けます。11節にはヨシヤはバビロンに移された頃と言うのですが、ダビデの子孫たちが罪を犯し続ける中で、ついに、エルサレムは陥落し、決して滅びることはないといわれていたエルサレムの神殿が破壊されてしまいます。不倫、殺人、偶像礼拝、高慢など、まさに人間の罪深さが凝縮したような系図なのです。
2 神のあわれみ
しかし、そのような血筋の中に主イエスが生まれてくださったのです。
実は旧約聖書には神の愛を表す言葉が二つあります。一つは神の選びの愛を表す言葉です。そしてもう一つは神の御真実を表す言葉なのです。神は人間のこのような不真実にもかかわらず、なおダビデと結ばれた約束に真実で、本当に救い主を送ってくださったのです。
3 神の約束された王なるメシヤ
イスラエルの歴史には様々な紆余曲折がありましたけれども、人々はどんなに厳しい時代が続いても、神は必ず約束された救い主、王なるメシヤを送って下さると信じていました。そして、まさにそのお約束の通りに主イエスがこの世に来てくださったのです。人間の王が誰もできなかった、神に従い、民を救うというその救いをもたらすために来てくださったのです。
私たちはこの王の支配の下に生きます。それは、この世にあってどんなにこの地上の王がその権力を誇っていたとしても、この世を本当に治めておさめておられる本当の王はこの主イエスなのだということです。
私たちはこのお方を王として崇め、このお方の前に自らの冠を投げ捨ててひれ伏し従うのです。
|