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信じる者にはどんなことでもできる  マルコ 9章 14〜29節

イエスは彼に言われた、「もしできればと言うのか。信じる者には、どんなことでもできる」。その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしをお助け下さい」。(23-24)

 山の下では非常に厳しい現実が待ち構えていました。それは私たちがクリスチャンとして歩んでいる私たちが日常的に経験することです。日曜日、教会に行って、神さまの恵みをいただき、ハレルヤ!と主を賛美しながら出て行く・・・しかし、家に帰ると何も変わらない日常が待ち受けている。
 一人の父親が自分の息子を連れてきた。けれども弟子たちはこの子を救うことができませんでした。しかし、主はこの子から悪霊を追い出してくださったのでした。主イエスによって神の力が表されました。神の御業を見るために、何が鍵なのでしょうか。

1 信じるということ

 父親は言います。「しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助け下さい」。それに対して主は「もしできれば、と言うのか」と切り替えされます。私たちは、自分の置かれている状況を見ます。今までの自分の経験を振り返ります。また、信じて、期待してその通りにならなかった時のダメージを考えます。けれども、信じるとは、自分の前におられる主に信頼することなのです。信じるとは自分の願い通りになると思い込むことではありません。思い通りにいかないこともあるでしょう。けれども、私たちはこのお方を信じる。このお方にはできる。このお方は私に悪いようにはしない。このお方のなさることを全部理解することはできないけれど、私はこのお方が全能のお方であり、また私を愛し、私によくして下さることを信じる。まさにこの「信じる」というところにあるのは人格的な交わりなのです。

2 問題を見極めるということ

 この父親は、この息子が小さい頃からずっとこの息子を支えてきました。けれども、ここで主イエスの言葉を聞いた時に、叫ぶのです。「信じます。不信仰な私をお助け下さい」。大切なのは、本当に神さまの助けを必要としているのは、私自身だということを認めることなのです。

3 祈るということ

 この親子が救われた時、弟子たちがおたずねします。どうして、霊を追い出せなかったのですか。主イエスは、このたぐいは祈りによらなければ、とおっしゃいました。  今まで何回もやって来たし、と自分の経験に頼って、まるで神さまにすがらなくても、自分の力でなんとかできる、かのように勘違いしていた弟子たちへの警告でもあるのでしょう。祈りなしにすすむことのできる状況はありません。わたしたちは、もう一度あたらしい思いで、主にすがり、主の助けを求めていきたいと思います。


  
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