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聖霊の風が ヨハネ 3章 8節
中村 祐二師
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである。(8)
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人生には、いろいろな風が吹きます。何をしなくても進んでいく順風、簡単におさまらない逆風、前に進めず、吹き倒されそうな大嵐などがあり、肉体的、精神的に辛いことも多いですが、それ故に与えられる大きな恵みがあります。
常にがんばれなくて、泣くことがあるかもしれません。神の前に泣いてもいいのです。それを祈りと言えます。思い切って泣いてみると、何か不思議に前をもう一回向き直すことができます。
この聖書の個所に、「風は思いのままに吹く」とありますが、この風とは、信じる私たちには、神からの聖霊の風です。私たちには、喜びと感謝の時があります。しかし、わらにもすがる、神様を切実に求める時もあります。思わぬ大風が吹いて来て、すべてが失われて、吹き飛ばされてしまい、思いもかけない方向に向けられることは、誰にでもあります。私たちは先を見ることができません。風はどこから来て、どこへ吹くかは、誰にも分かりません。
しかし、この風が神からの風であり、"思いのまま"とあるのは、神様の思い、神様の意志のことです。今は思いがけない方向に向けられているけど、神様は、決して私たち信じる者を悪い方向には向けられません。この神様の風を受け止めて、信じる時に、神様は、不思議な仕方方で、肉体的にも精神的にも恵みを与えて下さいます。
一進一退のような風、前に進もうと立ち上がると、吹き倒されてしまう・・・そんな時。何度も吹き倒されて一番弱った時。孤独で拠り所のない、暗く寒い宇宙のど真ん中で自分だけ一人ぽっちであるように感じる時。神は、聖書の御言を私たちの心に響かせて、「私はここに共に居る」と声をかけ、そのご臨在を現して下さいます。温かい、満たされた思い、幸せ感を与えて下さいます。
主が共に居られるという、インマヌエルの聖書のメッセージが、旧約の時代からずっと私たちに与えられ続けています。愛する主と共にあるなら、私たちは輝くことができます。それは、私たちにとって、大いなる恵みです。困難を知り、神様の恵みを知ればこそ、それは私たちにとって、大きな力となります。
今、どうしようもない耐え難い大風が吹いて風に乗れない時、どうにもならない時、でも私たちは、すべての風が私のための神様からの聖霊の風であると信じて神の思いを受け取ると、一見逆風のように思えても、必ずそれは恵みの風となっていきます。その恵みの風に自らを委ねて、その方向に向くと、私たちは必ずこの風に揺り動かされて、恵みの大空を舞い上がることができるのです。
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