あなたを捜し求められる神 ルカ15章 1〜7節
その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。 (4)
主イエスはある日、いなくなってしまった羊の話をなさいました。ある人が百匹の羊を飼っている。その一匹がいなくなった。聖書はこのいなくなった一匹の羊のことを神さまのもとから離れていった人間の姿だと言い、それを「罪」と言います。私たちは自分の考えで判断し、自分勝手な歩みをするのです。その結果は悲惨です。私たちは迷って、どうすることもできなくなってしまう。
迷った羊はどうしたらいいでしょうか。知ってください。あなたが自分が迷子になったことに気づく前から、あなたのことを探していてくださる方がおられるのです。
1 一匹に心をかける羊飼い
この羊飼いは百匹羊がいても一匹がいなくなったときにそれに気づくのです。単に数が足りないと言うだけでなく、どの羊がいないかが分かるのです。
2 あきらめない羊飼い
彼はその一匹を探します。見付けるまではあきらめません。探すのを止めません。見付けるまでは探し続けるのです。
知ってください。神さまはあなたのことを気にかけていてくださっています。あなたがいてもいなくてもかまわないとか、平気とか言うのではありません。
そしてあなたのことを探し出すまでは決してあきらめない。神は、私たちを探して探して探してとうとう人となってこの世にまで来てくださったのです。主イエスはおっしゃいました。私は人を探しに来たのだ。イエスさまは罪人の私たちを救い出して救うために来てくださったのです。
3 喜ぶ羊飼い
そしてこの羊飼いは羊が見つかったら大喜びです。家に帰って友人や隣り人を集めて喜ぶのです。友人や隣り人にして見れば、それがどうした、という部分もあったと思います。おめでたいほどに無邪気になって羊が見つかったことを喜ぶ羊飼いの姿があります。
イエスさまのもとにはいろいろな問題を抱えている人たち、いわゆる取税人や罪人たちがたくさんいました。この人たちはイエスさまに出会うまでは、そんなに神さまに興味がなかったかもしれない。お祈りもあまりしない。聖書も読まない。そんな人たちだったかもしれない。でも彼らはイエスさまのところに来た。人々は目をしかめました。でもイエスさまはこの人たちが悔い改めて神さまに帰ってきたことがうれしくてたまらなかった。
私たちがイエスさまを信じる時に私たちは救われます。私たちは喜びにみたされるでしょう。でも私たちが喜ぶ以上に、神さまはあなたのことを喜んでくださるのです。
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