神のことを思う マルコ8章31〜33節
あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。(33)
ペテロの信仰告白は主イエスの公生涯の大きな転機になっています。主イエスはここからご自分の十字架について語られるようになったのです。
その時、ペテロは主イエスをわきへ引き寄せていさめはじめたのでした。しかし、イエスさまは弟子たちを見ながら、ペテロにおっしゃいます。「サタンよ、引き下がれ」。主イエスさまはこのペテロの行動を見過ごしにすることはできませんでした。そして、主イエスはおっしゃいます。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。
1 人のことを思うペテロ
ペテロは主イエスのことを思って語り、行動したのでしょう。確かに私たちも、人のことを考えて行動します。そしてそれは大切な事です。人のことを思わない人、人に配慮のできない人は困ります。人のことを思うこと自体は決して悪いことではありません。
しかし、人間の視点だけでものを考えようとするのも問題になることがあります。人間の知恵、人間の常識、人間の論理・・・しかし、そのような人間の理屈だけで生きていこうとすると、大事なことを見失ってしまうことがあるのです。
2 神のことを思いなさい
神のこととはどういうことでしょうか。
@ 人のこととは違うことが多い
神が計画し、神がなさろうとしておられることは、人間の理解を超えています。私たちは自分の身に起こることが必ずしもすべて理解できるわけではありません。しかし、神はいつでもそのご自身の知恵の中で最高のことをしてくださるのです。
A 主イエスの十字架による救い
それは神が私たちのために計画してくださったことです。神が自ら人となってこの世に来てくださるということを誰が期待できたでしょうか。そしてイエスさまは十字架に死んで私たちのために救いの道を開いてくださいました。この十字架を信じる以外に救いの道があるとか、他の道を試そうとかいうのはサタンの道なのです。
B 神は必ず栄光をあらわされる
神はどこまでも神であられます。イエスはよみがえると約束なさいました。主は必ず、栄光を取られる。苦難の中を通ることがあっても、神のことを考えてごらん、思ってごらん。神は必ず、勝利をくださるのです。
ここで主イエスはさがれとおっしゃるのですが、直訳すると、私の後ろにさがれ、という意味です。いつの間にか、ペテロは主イエスの前に立ちふさがり、イエスさまに命じていました。神よりも自分を上に置くのはいつもサタン的なのです。だから主はまず、わたしの後ろへとおっしゃるのです。私たちも神に信頼し、従うお互いでありたいと思います。
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