主がお入り用なのです マルコ11章1〜11節
主がお入り用なのです。 (3)
主はろばの子を用いてくださいました。主は同じように、私たちのことも用いてくださいます。
1 主はそのロバの子のことを知っていてくださった
主イエスはおっしゃいました。向こうの村に行きなさい。そこにはいるとすぐにロバがいる。ロバの子がいる。だだ誰も乗せたことがないロバがいる。イエスさまはちゃんと知っている。誰も目に留めないようなそんな子ロバに主は目を止めておられた。神さまは私たちのことも知っておられる。世界には71億5千万人の人が生きています。私はその中のひとりにしか過ぎません。私がいてもいなくてもきっと多くの人たちは気づかない。でも、神さまは、そうそう東京のあの路地を曲がったところにいるあの誰かさん、とこんな私にも目を止めていてくださる。
2 主が先に声をかけてくださった
ここでロバはイエスさまを私に運ばせてください!と立候補したのではありません。主はエルサレムに王として入場されるときに、ろばを用いられた。
なぜろばの子だったのか、ロバの子でなければならなかったのか・・・それは・・・
@ゼカリヤ書の預言の成就のため
A柔和な王、平和の王のしるし
B王の王をお乗せするため
他の主は私たちに他の誰でもない。あなたにこの仕事を負って欲しいと願っておられるのです。
3 そして、ロバの子は文句一つ言わず、一生懸命、自分に与えられた務めを果たしたのでした。
まだ誰も運んだことないんですけど、小さいんですけど、弱いんですけど・・・ろばの子は何も文句を言わずに従いました。親ロバのようには上手にできなくても黙々とそれをしました。
私たちはどうでしょう。不安もあるかもしれません。心配もあるでしょう。しかし、主があなたにゆだねてくださったのでしたら、負って行ってください。
そして、知ってください。人々は主イエスをあがめた。ほらみろよ、あのロバ格好良くない?何て誰も言わない。ロバはあくまでもロバ。でも人々はロバの背中に乗った主イエスの御名をあがめたのでした。
私たちもそうでありたいと思います。私たちが主に仕えることによって、主の御名があがめられるそのような歩みをさせていただこうではありませんか。
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