捨てたら受ける マルコ 10章28〜31節
だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は、必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代にあって言え、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、またきたるべき世では永遠の生命を受ける。 (29-30)
ペテロが言いました。わたしたちは一切を捨てて従ってまいりました。マルコによる福音書はここで終わっているのですが、マタイによる福音書では、ペテロがいった言葉がもう一言、残されています。「ついては何がいただけるのでしょうか」。それに対して、主イエスは「よく聞きなさい」とこれから話すことはとても大切な事だ、と前置きをなさったのでした。
1 主イエスのために犠牲を払う
ここで今日も私たちがまず覚えたいことは、私たちが主イエスの弟子として生きるためには、献げるべきもの、ここでは「捨てる」という言葉を使うのですが、置いておかなければならないものがある、ということです。私たちの周りには大事なものがたくさんあります。もちろん、家は大事、兄弟も姉妹も大事。両親も大事。子どもも大事。仕事も大事。しかし、同時に、神さまよりも大事なものがいっぱいあって、神さまよりもお金、神さまよりも仕事、神さまよりも家・・・ってそれが普通になってしまったら違う。神さまが献げなさいと言われたときには、喜んで献げるということです。
2 主の約束された祝福
主イエスはこのように約束されました。必ずその100倍を受ける。皆さん、神さまのために何かを献げて損をすることはありません。
@この時代に
私たちが真実に生きようとしたら迫害を受ける。主を信じて、従って生きるというのはイージーな道ではない。でも献げたものが何倍にもなって返ってくる。私たちは主を信じて多くの兄弟姉妹と出会った。こんなに多くの愛する家族を与えられた。ではこの地上の家族はどうでもいいのか。いいえ、私たちにとって最大の親孝行は神さまを第一にすることです。子どもを愛すると言うことは、神さまを愛することなのです。
Aきたるべき世に
この世はやがて過ぎ去っていきます。しかしその先がある。そして、神さまを第一にして生きていくと、永遠の命を受けるのです。神さまと共に生きることができる。
おわりに
しかしここまで話して、主イエスはまおっしゃいます。しかし先のものは後になり、後のものは先になる・・・自分はこんなにささげてる。こんなにがんばってる、自分が、自分が、って言ってると、神さまの恵みが分からなくなってしまうよ、ということです。
神さまは私たちを愛し、私たちを期待してチャレンジを与えられます。しかし、私たちが神さまを第一にして生きることができたとしたら、それもやっぱり神の恵みなのです。
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