神の喜びと祝福 ルカ15章21〜24節
さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪をはめ、はきものを足にはかせなさい。また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。 (22-23)
弟息子は自分の家に戻っていきます。しかし父親の方はずっと彼の帰りを待ちわびていたのでした。父親は走り寄って彼を抱き、彼を迎えたのでした。
1 息子として
さて、彼はここでお父さんに向かって口を開きます。家に帰る間、ずっと何度も何度も練習したはずです。お父さん、私は神さまにもお父さんにも悪いことをしました。もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません。どうぞ雇い人のひとりにしてください。そういうはずでした。でもお父さんは、それ以上、彼に言わせませんでした。そして僕たちを呼ぶと、着物を着せ、履き物を履かせ、指輪を与え、越えた子牛をほふってお祝いしようというのでした。
神さまも私たちに同じことをしてくださいました。神も私たちを子として迎え、私たちに神の子としての特権を与えてくださるのです。
2 最上のものをもって
私たちも神さまのところに帰るまではボロボロの衣を着ていました。パウロはこう言います。あなたがたは情欲に迷って滅び行く古い人を着ていた。でもそれを脱ぎ捨てなさい。後生大事に古い生き方を握っていてはいけない。神さまが備えてくださる、衣を着なさい。古い衣をもう一度あらって見回すというのではありません。神が私たちのために与えて下さる新しい、最上の衣を着るのです。神が用意して着せてくださるのです。太った子牛もそうです。神さまは最もよいものをもって私たちをあしらってくださるのです。
3 喜んで
この父親は子牛をほふって、祝宴を始めます。ここに父親の喜びが溢れています。彼は言います。「この息子は死んでいた、いなくなっていた。でも生き返った、見つかった」。この父親は無理をしてこの子を受け入れたのではありません。本当にこの弟息子を自分の息子として喜びをもって受け入れたのです。
私たちも神様のところから迷子になって、神さまに背を向けて自分勝手に歩んでいる・・・神さまはそんな私たちをいなくなった、死んでいる、とおっしゃいます。神さまはいなくなるならしょうがないとはおっしゃらない、神さまは本当に大きな愛をもって、また大きな悲しみをもって私たちが神さまのところに帰ってくるのを待っていてくださっている。そして、神さまは私たちが神さまのところに帰ってくるときに、本当に私たちのことを喜んで迎え入れてくださるのです。
さあ、あなたもあなたのことを息子・娘として、最上のものをもって、そして大きな喜びと共に迎えてくださる神さまのところに帰って下さい。
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