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あなたを捜す神さま マタイ18章12〜14節
大鶴英樹修養生
あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。・・・そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父の御心ではない。(12、14)
私たちは、迷い易く弱い存在です。私たちが人生に迷う時、道案内をしてくれる人が必要です。私たちを導かれる方がおられるのに、私たちはその方を見失っています。しかし、その方は私たちを捜し見出し、伴って下さるのです。
一匹の羊が群れから離れて、迷子になって帰れません。羊飼は必死に捜し、根気よく導きます。羊は迷い易い動物で、めいめい行きたい所に彷徨っていくと狼がいたり、道の片側に切り立つ崖があったり、荒野に迷い込むこともあります。また羊は、弱い存在で、目の前の危険は察知しますが、少し移動して見えなくなると安心して草を食べます。
自分を探し、自分らしく生きることを望む人たちが、悩み苦しんだ果てに自分自身を見失って、自らを死を選ぶことがあります。もっと確かな生き甲斐のある生き方、本当の自分を知って生きる喜びを知りたいのです。
聖書は、私たちを不幸にするのは、罪であると言います。的である神から離れていることです。羊が迷うように、私たちは神から離れて、めいめい自分勝手の方向に行き、道に迷っています。「罪の支払う報酬は、死である」と、聖書にあります。人間には、罪があり、罪は私たちを幸せにしないばかりか不幸のどん底に突き落とし死にまで追い込みます。毎日のように起る悲惨な事件の背景には、神から離れた罪の姿があります。
しかし聖書は、「神は、私たちを生きるようにして下さった」と語ります。罪という暗闇の中に捕われ、自分を不幸へ、死への下り坂を歩むことの真反対が、"生きる"ということです。暗闇の中で希望の見えない時にも、自分を照らす光を見ることです。主は、私たちを愛してやまないお方で、私たちが罪の中に滅んでいくのを見逃されません。御自身の愛によって私たちのために身代りとなられ、十字架にかかられました。自分の罪を背負うことは、非常に重たい荷物を背負って生きていくようなものです。その重荷の重さによっていつしか押し潰され、命までも失ってしまうのです。その罪の荷を担い解放するお方は、主お一人です。
神は人間が滅びることを、見過ごされません。愛に満ち、あなたを助けようと捜して下さる主を心にお迎えして神のもとに帰りましょう。
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愛読の友 |
毎日の心の糧に
聖書の一節から
ショートメッセージ
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