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錦織 寛 牧師の礼拝説教の録画映像は、
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なくてはならないもの ルカ10章38〜42節
しかし、無くてはならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである。 (42)
主イエスはおっしゃいました。マルタ、マルタどうしてそんなに多くのことをしようとしてパニックになっているんだね。でもね、マルタ、なくてならぬものは多くはないんだ。いやひとつだけだ。マリヤはその大事な一つを選んだんだよ。
主イエスが一番して欲しかったのは、いろいろ忙しくすることではなくて、主イエスに聞くということでした。
主イエスはなくてならぬものは多くはない、とおっしゃいました。私たちは自分の生活を点検してみる必要があるかもしれません。これはあってはならないものなのか。それともなくてもよいものか、または、なくてならぬものか。
まず、あってはならないものは捨てましょう。
またなくてもよいものについても整理しましょう。それ自体は悪いものでなかったとしても、私たちの限られた時間と能力をどこにつぎ込むかと言うときに、あってもよいけれど、なくてもよいものについては優先順位をつけながら整理していくことが大事です。
けれどもなくてならぬものがある。主イエスは、多くないどころではない、一つだけだ、とおっしゃいました。ここでマルタは一生懸命接待をしていました。この「接待」と訳されている言葉は「奉仕」とも訳せる言葉です。知ってください。いくらたくさん奉仕をしていても、なくてならぬものが欠けてしまったらいったいどうなのだろうか。私たちは本当に神の御声を聞いているだろうか。何となく、いろいろなことをしながら・・・というのではなく、座り込んで、集中して、イエスさまの御言を聞く。聖書を読んで、主の声に耳を傾け、その御言を心にとめて思い巡らすと言うことなのです。そこが崩れていくと、いらいらしたり、人を裁いたりが始まってしまいます。
なぜ主イエスの言葉を聞くことが大切なのでしょうか
@主イエスの言葉にはいのちがあり、また権威があるから
Aただ一つ、時代が変わっても変わらないものだから
B主イエスはご自身の思いを知らせたいと願っておられるから
無くてならぬもの、決して取り去ってはならないものをしっかりと握って歩ませていただきましょう。
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愛読の友 |
毎日の心の糧に
聖書の一節から
ショートメッセージ
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