走り寄る神 ルカ 15章 11〜20節
そこで立って、父のところへでかけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。(20)
放蕩の限りを尽くし、無一物になって初めて本心に立ち返った弟息子は家に帰ってきます。そしてやっと家が見えてこようかと言う時に、聖書は言うのです。まだ遠く離れていたのに父は彼を認めて走ってきた。
1 私たちのことを待っている神
父親はずっと彼のことを待っていました。彼は言ってみれば父親を捨てたのです。それでも、そんな弟息子が帰って来るのを期待して、信じてまっている。町から続く道を見つめている。それまでにはいろいろな噂がおそらく良くない噂が耳に入ってきていたことでしょう。でも、このお父さんは毎日彼の帰りを待っていたのです。私たちの神なる、天の父も同じです。私たちが神さまのところに帰って来るのを本当に心から願い、待っていてくださるのです。
2 私たちのことを認めてくださる神
彼はまだ、遠くにいました。そして、彼の姿はすっかり変わり果てていました。しかしどんなに変わり果てた姿であっても、父親はこれはうちの子だと見分けていく。神さまはおっしゃるのです。あなたはわたしの子だ。私の方ではひょっとしたら、そんなことすっかり忘れてしまっているかもしれません。しかし、お父さんの方ではちゃんと分かる。だってお前はうちの子だ。私たちがどんなに罪深く、またきよい神さまからかけ離れた歩みをしていたとしても、神さまは私たちを知っていてくださるのです。
3 私たちをあわれんでくださる神
この父親はそれが自分の息子であることに気づきます。しかし、同時に、変わり果てたその姿に、あわれに思うのです。あわれみを感じるのです。そんな変わり果てた私たちのすがたを見て、愛がかき立てられるのです。神さまはこんな私たちをそのままで愛してくださるのです。
4 私たちを走り迎えてくださる神
この父親はこの弟息子に走り寄ります。確かにこの弟息子は本心に立ちかえって、歩いて帰ってきたのです。しかし同時にこの父親は走ってこの自分の息子に飛びつくようにして、何度も接吻した。神さまは背を向けて、今頃何しに帰ってきた!とどなりつけるのではありません。どの面下げて帰ってきた!とピンタするのでもありません。まだ彼が何も言わないうちから、彼に飛びついて、接吻するのです。ここには父親の大きな喜びが溢れています。神さまはこんな私たちを喜び迎えてくださるのです。
いかがでしょうか。あなたもこの神さまのところに帰りませんか。神さまがあなたのことを待っていてくださるからです。
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