無学なただ人の福音 使徒行伝 4章 13〜18節
あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、・・・無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。(Iコリント 1:26−28)
神は私たちが何か特別な資質を持っている、と言って選んで、立ててくださったのではありません。かえって、私たちは無学なただびとなのです。そして、こんな私たちを通して、神は働いてくださるのです。
1 無学な、ただの人たち
そこに集まっていたのは、いわゆる国会議員たちでした。有名人たちがずらりと並んでいる。ところが、その議会に引き出されていたのは、なああの人誰?という人たち。どこの学校を出たわけでも、どこかの有名な先生に師事したわけでもない。何でもこの間まで、ガリラヤ湖で漁をしていたらしいぞ、二人とも。
知ってください。神さまは無学な、ただの人を選び、召してくださるのです。
2 大胆な話しぶり
しかし、その無学なただの人たちが、実によくしゃべる。しかも堂々としている。皆さん、不確かな時代の中にあって、はっきりものをいう人が求められている、と言われたりします。彼らはまさに確信をもって語っていました。
私たちは本当の福音を持っている。イエスの名が一人の人を強くし、私たちを救うのだ!そこには何の疑いや躊躇もありません。そこにはペテロやヨハネと一緒に美しの門でこじきをしていた人も立っていました。確かに一人の人がすっかり変えられている。議会にいた人たちもみんな知っている人です。確かに彼の上に何かが起こった事は確かでしょう。
彼らの大胆さは、ただ、このこじきに起こった事のゆえだけではありません。実際、ペテロとヨハネ自身にも起こったことでした。
皆さん、自分が見たこと・聞いたこと・自分に起こったことは語れるでしょう。だって自分は見たのですから。自分は経験したのですから!神さまが私たちを救ってくださる。それは決して、そうかもよ、というようなことではありません。確かに私に起こった事なのです。
3 主イエスと一緒にいた
彼らが言っていたのは、主イエスが、主イエスが、ということでした。そして、議会の人々はそのことを認めざるを得ませんでした。それは、彼らが確かに主イエスと一緒にいたということです。何か彼らと他の人々とを区別するものがあったとしたら、それは彼らがイエスさまと一緒にいたということでした。
みなさん、あなたはイエスさまと一緒にいましたか。あなたと一緒にいてくださる主イエスは、無学な、ただの人である、あなたを私を、主イエスの大胆な証し人へと変えてくださるのです。
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