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マタイ 14章1〜12節     2012年1月30日

すなわち、ヨハネはヘロデに、「その女をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。(4)

 主イエスのことが評判になって来た時に、領主ヘロデは自分が首を切らせたバプテスマのヨハネの亡霊に悩まされていました。このところでは、ヘロデがそのように思うきっかけとなったヨハネの死について詳しく語っています。
 ヘロデは、マタイ二章に出てくるヘロデ大王の息子の一人であり、ガリラヤとペレアを支配します。彼は異母兄の妻であったヘロデヤを妻とした事によって、バプテスマのヨハネから非難されていました。しかし、ヘロデは彼を捕らえ、ヘロデヤもヨハネの命を奪うチャンスをうかがっていたのでした。そして、ついに、ヘロデの誕生日に、ヘロデヤの策略によってヨハネは首を切られて殉教します。
 ヨハネは命がけで、正しいことを言いました。それに対して、ヘロデは、逆ギレして彼を捕らえ、また人々の顔色を見ながらヨハネを殺害したのでした。ヘロデは後にヘロデヤの入れ知恵に従ったことがあだとなって追放され、寂しく一生を終えたと言われています。

マタイ 14章13〜21節     2012年1月31日

そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。(19)

 バプテスマのヨハネの殉教のことを聞いた主イエスは自分一人で寂しいところに行かれます。イエスは自分の受難の時が確実に近づいていることを感じられ、祈ろうとされたのでしょう。けれども、人々はイエスを追ってきたのでした。主イエスは、そのような中にあってもそこにいる群衆を深く憐れまれます。
 弟子たちは夕方になっても、人々が帰ろうとしないので心配し、主イエスに群衆を解散させることを進言しました。けれども、主イエスは弟子たちに人々の食事の世話をするようにおっしゃいます。それはとんでもないことでした。弟子たちの手元には五つのパンと二匹の魚しかなかったからです。けれども主イエスは、それをここに持ってきなさいとおっしゃいました。そして、主がそれを祝福して、さいて弟子たちに渡され、それを弟子たちが人々に配った時に、みんなが食べて満腹したのでした。主イエスに祝福されたパンと魚は多くの人々に神の祝福となり、主イエスの栄光を表すこととなったのです。

マタイ 14章22〜27節     2012年2月1日

しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。(27)

 五千人の給食の後、主イエスはすぐに群衆を解散させ、また弟子たちを舟に乗り込ませて向こう岸におやりになります。主イエスはどうしても一人になって祈りたいと思われたのです。
 弟子たちは主イエスに言われるままに舟に乗りました。ところが舟は逆風のために湖の真ん中で立ち往生し、風と波によって彼らは長時間とても厳しい状況の中に置かれていました。弟子たちはどれほど、主イエスにそこにいてほしかったことだろうかと思います。けれども、本当に主イエスがそこに来て下さった時、彼らは主イエスのことを見て「幽霊だ!」と言って、恐怖の叫び声を上げます。彼らは主イエスにいてほしいと思いながらも、このような状況の中で、今ここに主が立たれるはずがないと思っていたからです。
 しかし主はすぐに彼らに声をかけて、おっしゃいます。「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」。「わたしだ」とおっしゃる主が途方にくれている私たちを支えてくださるのです。

マタイ 14章28〜33節     2012年2月2日

イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。(30)

 湖の上に立っておられるのが主だと知ったペテロはイエスに声をかけます。「わたしにも水の上を歩いてあなたのみもとに行かせてください」。ペテロらしい発言だと思います。そしてペテロは、イエスに了承いただいて、水の上を歩き出したのでした。ペテロは何歩歩いたのでしょうか。彼はもう少しで主イエスに届くというところで、風を見て怖くなったのでした。沈む前から「沈む!」と思ったのです。そして、彼が恐れに捕らわれて「沈む」と思った時に、本当に沈み始めたのでした。ペテロは疑ったのです。
 ペテロは主イエスに悲鳴を上げます。その時に、主はすぐに手を伸ばして彼をつかまえてくださいました。もちろん、ペテロの手をつかまえて沈まないように引き上げてくださったのでしょう。けれども、ここで「彼をつかまえて」とあるのを読む時に、ペテロの存在をしっかり受け止め支えてくださった主のお姿を見るのです。
 嵐は静まりました。そして、弟子たちは主を礼拝し、イエスを「神の子」としてあがめたのでした。

マタイ 14章34〜36節     2012年2月3日

そしてさわった者は皆いやされた。(36)

 イエスと弟子たちが舟から上がると、人々は附近の村々にも、そのニュースを伝えます。人々は喜びをもってイエスを迎えます。なぜなら、主イエスのところにいくとどんな病気の人でもいやされたからです。多くの病人が連れて来られました。
 上衣のふさでもいい、さわらせてほしいと人々は懇願するのでした。彼らは主イエスに触りでもしたら、きっと自分の病気は、また自分の家族の、友人の病気は治ると信じたのです。そして、その通りになりました。どんなに重い病気の人たちも次々にいやされていったのです。
 今も、信仰をもって主に近づく者に主は癒しと命と力を与えて下さいます。私たちの抱えている問題・試練・課題が何であったとしても、信仰をもって主イエスに近づき、主イエスにすがる者は決して裏切られることはありません。主は必ず、私たちが期待する以上のことを私たちのためにしてくださるからです。


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