・・・見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。(16〜17)
バプテスマのヨハネのもとに主イエスが来られて、バプテスマを受けようとする群衆の列に加わられた時、ヨハネはイエスに対して、自分の方があなたからバプテスマを受けたいと言います。けれども、イエスはヨハネにお願いしてバプテスマを受けられたのでした。確かにヨハネのバプテスマは悔い改めのしるしとしてのバプテスマでしたから、罪を犯したことのないイエスは受ける必要がないとも言えます。
けれども主イエスは自分がバプテスマを受けるのは正しいこと、とおっしゃいました。神の子イエスはベツレヘムにお生まれになった時に人になってくださったのですが、まさにこのバプテスマをお受けになることによって、罪人とご自身を同一化してくださったと言えます。
天からの声は、詩篇二7とイザヤ四二1から来ています。それはそれぞれ、王なるメシヤ・僕なるメシヤをあらわす旧約聖書の言葉です。イエスは王なるメシヤ・僕なるメシヤとして、その働きを始められたのです。
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