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ヨハネ黙示録 19章1〜10節 2014年12月25日 |
ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。(6〜7) 天の大群衆が主を賛美します。「救いと栄光と力とは神のもの!」「その裁きは真実で正しい」「全能者にして主なる神は王なる支配者」。彼らは神を礼拝し、その御名を賛美します。そしてそこにはあふれる喜びがあります。
ここでは、歴史の完成の時を「小羊の婚宴の時」と言います。小羊とは、私たちのために人となってこの地上に来て、十字架の死によって私たちのためのあがないを全うしてくださった主イエスのことです。花嫁とは、教会です。教会と主イエスとの間には親しい愛の交わりがあります。それは特別な関係であり、つながりです。教会は、主にあって罪の中からあがない出されて、主の花嫁としての整えをしていきます。「光り輝く、汚れのない麻布の衣」を着て、主を迎えるのです。ヨハネはそれを「聖徒たちの正しい行い」と言います。救いのために行いが必要だというのではありません。主にお会いする望みに生きるお互いは、主にお会いする備えをするのです。
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ヨハネ黙示録 19章11〜21節 2014年12月26日 |
彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。(15〜16) 天が開かれて、今度は小羊としてではなく、白い馬に乗った戦士として主イエスがご自身をあらわされます。彼は「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によって世界を裁かれます。彼は血染めの衣を身にまとい、「神の言」と呼ばれます。このお方は「王の王、主の主」です。
この方は確かにご自身の血によって、私たちのためのあがないを全うしてくださいました。彼は十字架の上で無力に見えたかもしれません。多くの人々はそのような主イエスをあざけり、また見捨てました。しかし、それは私たちの救いのためでした。
そしてやがてこのお方は、その救いを完成し、世を裁くために来られます。どんなに一時、繁栄を誇り、また自分の好きなように罪を重ねていても、主イエスが正しい裁きをなさる時が来ます。失敗してはいけないということではありません。問われるのは、主を信じて、忠実に生きたかどうか、ということなのです。
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