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ヨハネ黙示録 2章1〜7節     2014年11月21日

しかし、・・・あなたは初めの愛から離れてしまった。(4)

 七つの教会それぞれに宛てられた主の言が書き記されます。最初に登場するのはエペソ教会です。エペソ教会は、パウロの宣教によって基礎が築かれ、ヨハネ自身もその群れで牧会をしました。ヨハネにとって非常に思い入れの深い教会であり、小アジアの七つの教会の中でもリーダー的な教会だったと考えられます。そして実際、この教会のキリスト者たちは、様々な困難をも、忍耐をもって忍びとおし、また偽教師を見抜く力をも持っていました。
 しかし、このエペソ教会には致命的な欠陥がありました。それは初めの愛から離れてしまった、ということでした。そして、そのことが彼らの生き方にも現れて、「初めのわざ」を失ってしまっていたのです。最初、主イエスと出会い、主イエスの贖いを受け入れて救われて、喜びに満たされて、主に仕えようとしていた最初の愛です。主は、いつの間にかではなく、彼らが初めの愛から離れたある時があったとおっしゃいます。どこから落ちたかを振り返り、主に立ち帰ることが求められていたのです。私たちは初めの愛にとどまっているでしょうか。

ヨハネ黙示録 2章8〜11節     2014年11月22日

死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。(10)

 次に取り上げられるのはスミルナの教会です。この教会は非常に厳しい苦難の中に置かれていました。教会に対する言われのない非難もありました。そしてサタンはさらに迫害を強め、彼らが恐れの中にあって信仰を捨て、信仰の妥協をするようにと迫ってきていました。しかし、主イエスは、スミルナの教会に、「恐れるな」と語られます。その苦難は十日の間です。この十日というのは時間的な長さのことではなく、その苦難の時が限られた期間であること、その時が決して長い期間ではなく、必ず終わることを示しています。
 そして主は、「死に至るまで忠実であれ」と語られます。私たちは、単に信仰をもってその歩みをスタートしたというだけでなく、その歩みを最後まで全うさせていただきたいと思います。どれだけのことができるかということではありません。ゆだねられた恵みに対して、最後まで忠実に生き続けるということです。主は私たちに永遠の命を与え、いのちの冠をもって報いてくださるのです。

ヨハネ黙示録 2章12〜17節     2014年11月23日

わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスが・・・殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。(13)

 三つ目の教会は、ペルガモの教会です。この町は二十万冊の蔵書を誇る図書館と偶像礼拝で有名だったと言われています。まさに、そこには「サタンの座」がありました。そしてペルガモのキリスト者たちがそのようなところで信仰の戦いをしていることを神は知っておられました。迫害の中で殉教者も起きましたが、それでも彼らの信仰は弱ることがありませんでした。
 しかし、外からの迫害に対して非常に力強く戦っているこの教会が、バラムの教えとか、ニコライ宗の教えに惑わされようとしていることを主は知っておられました。バラムの教えとか、ニコライ宗の教えというのは、不道徳な生き方をも受け入れてしまうような教えだっただろうと言われています。それは、教会の外に生きる人たちにはどうでもよいことだったかもしれません。しかし、主はそこで妥協してしまうことが信仰の根幹をも揺るがしかねないことを知っておられたのです。

ヨハネ黙示録 2章18〜29節     2014年11月24日

わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。(19)

 今日取り上げるのはテアテラの教会です。テアテラは衣服や染物、製陶業などで有名でした。ピリピ教会の最初の回心者ルデヤはテアテラ出身の紫布商人でした。主はこの町のキリスト者たちのわざと愛と奉仕と忍耐を知っていてくださいました。また、彼らが信仰の歩みに進んでいることも知っていてくださいました。しかし、同時に、主はテアテラの教会の中にいる「イゼベル」という女性について警告を発しておられます。実際に彼女の名前がイゼベルだったのか、イスラエルの歴史の中にある悪名高きアハブ王の妻イゼベルの名を象徴的に用いているのかは分かりません。イゼベルは性的に堕落した生活をしていながら、女預言者を自称し、教会の人々を惑わせ、罪の中に引き込んでいました。神は彼女に、何度も悔い改めのチャンスを与えてくださいました。けれども、彼女はその機会を受け入れようとしなかったのです。裁きが彼女を待ち受けていました。心の奥底をごらんになる主に私たちも自らを点検していただきましょう。



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