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ヨハネ黙示録 3章1〜6節 2014年11月25日 |
だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。(3)
主イエスはサルデスの教会に非常に厳しい言葉で語りかけられます。彼らは自分をキリスト者だと言っていました。しかし、彼らは霊的に死んでいるというのです。主イエスがそのようなサルデスのキリスト者たちに語ったのは、初心に帰って悔い改めることでした。どのように受けたか、聞いたかを思い起こして、そこに立ち返ることです。私たちがどのようなところから、どのように救われて、感謝と喜びの中でどのように歩んでいたかということにもう一度戻ってやり直すということです。
しかし、同時に、サルデスには数人のきよい歩みを続けている人たちがいました。主イエスはこの人たちを賞賛されます。罪に染まずに、神との真実な交わりの中に歩み続ける人たちです。主イエスは、「彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう」とおっしゃいます。彼らは主と共に、御国に至るまで歩み続け、父なる神と御使いたちの前でおほめの言葉をいただきます。私たちが望んでいるのはまさに、主と共に歩むことであり、主に喜ばれる生涯を全うすることなのです。
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ヨハネ黙示録 3章7〜13節 2014年11月26日 |
見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。(8) このところで主イエスは、「ダビデのかぎを持つ者」と自己紹介しておられます。それは主イエスこそが神の国の扉を開くことのできるお方であることを示しています。そして、主イエスはこのヒラデルヒヤの教会のキリスト者たちに、「あなたの前に・・・門を開いておいた」とおっしゃいます。すでに、門は開かれています。そして誰でも門を入っていく者たちは神の救いにあずかることができるのです。そして神が開いてくださった門を誰も閉じることはできません。
主イエスはヒラデルヒヤのキリスト者たちに、「あなたには少ししか力がなかった」と正直におっしゃいます。しかし、彼らは戦うべき戦いを戦い、与えられた信仰の歩みを続けていました。彼らがこの世との戦いにおいて主に従っていくことができた秘訣は、まさに「主の言葉を守り」という句にあらわされています。主の言葉が彼らを支えたのです。私たちがどんなに小さく、弱かったとしても、主は、そして主の御言は私たちを支え、勝利を与えるのです。
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ヨハネ黙示録 3章14〜22節 2014年11月27日 |
見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。(20) ラオデキヤ教会に対して、主イエスは非常に厳しい口調で語られます。彼らは自分たちが見えていませんでした。神の目から見たら「みじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者」であるのに、全くそれに気づいていないばかりか、自分たちが非常に優れた者であるかのように誤解していたのです。主イエスがこのように厳しく語られるのは、彼らのことを愛しておられたからです。私たちも悔い改めを迫られる神の御前にいつも砕かれて近づく者でありたいと思います。
20節の御言はよく伝道集会において、主イエスを心の中に受け入れるようにという招きと共に語られるところです。しかしここで主イエスはラオデキヤのキリスト者たちに対して語っておられます。私たちは、主イエスを信じていると言いながら、主イエスを心の外にしめだしていることがありうるのです。私たちをご自身との親しい交わりに招いていてくださる主に感謝し、喜んで心の真ん中に主をお迎えしたいと思います。
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