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ヘブル 11章1〜3節 2014年8月10日 |
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。(1) さてここでは、ヘブル書の記者は、永遠の大祭司である救い主を信じすがる信仰に立ち、忍耐をもって命を得た旧約聖書の実例を上げていきます。彼らに共通していたのは「望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認」しつつその生涯を歩んでいったということです。確かにまだそれは起こっていないし、実現していない。しかし、神が約束し、誓われたということは、まさに起こったと同じなのです。
まず、ヘブル書の記者は天地創造から始めます。私たちは誰も天地創造の場面を見ていません。創世記を書いたと言われるモーセもそうです。もちろん、モーセもイスラエルの中に語り継がれてきた創造の物語を書き記したのでしょうけれど、最初に造られた人アダムも、創造の場面を見ていたわけではありません。神の言によって何もないところから、神が世界を創造された・・・それはまさに、御言に書かれている通りに信じて受け止めるべきことです。しかしそれは盲信ではありません。世界には、信じて受けとめないと分からないことが多くあるのです。
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ヘブル 11章4節 2014年8月11日 |
信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。(4)
次にヘブル書の記者は、創世記四章にあるアベルとカインの物語を取り上げます。兄のカインは畑の産物を献げ、弟のアベルは「その群れのういごと肥えたもの」をささげました。神はアベルとその供え物を顧みられますが、カインとその供え物とは顧みられませんでした。アベルが、神の前に一番良いものをささげようとしたのに、カインはそうではなかったのでしょう。そして創世記四章の「アベルとその供え物とを」という言い方に、神が単に供え物を見ておられたのではなく、ささげるアベルを見て、アベルを喜び、受け入れられたことが分かります。ヘブル書の記者はこのアベルの姿に彼の信仰を見ています。アベルが動物を供え物としてささげたということは後の罪の贖いとして動物が殺され、主イエスが十字架で死なれるという聖書の中心メッセージにつながって行きます。悲しいことにアベルは世界で最初の殺人事件の被害者になって死んでしまいます。しかし、彼は信仰によって、今も語っているのです。
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ヘブル 11章5〜6節 2014年8月12日 |
信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。(5) ヘブル書の記者が次に取り上げたのは創世記五21〜24に登場するエノクです。エノクは65歳の時にメトセラを生みます。聖書は、「エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神と共に歩んだ」と記録しています。エノクに何があったのかは分かりません。しかし、子どもが生まれたことが彼の信仰の歩みに何らかの転機となり、変化をもたらしたのは確かでしょう。彼は三六五歳でこの地上の生涯を終えます。彼の父親も子どもも、九百歳を越えていることを思うと、彼の地上の生涯は長くはありませんでした。しかし、彼は神に喜ばれた者として、死を見ずして、神の御許に引き上げられたのでした。
ヘブル書の記者は、彼の生涯が信仰によるものであり、神が喜ばれるものであったと言います。神は、私たちが何をするかということ以上に、神に信頼し、神を信じて生きることを願っておられます。神は確かにおられて、神を求める者に報いてくださるからです。
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ヘブル 11章7節 2014年8月13日 |
信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。(7)
ノアは「正しく、かつ全き人」であり、「神と共に歩んだ」と言われています(創世記六9)。神はそのノアに、地を滅ぼすと語られ、ノアとその家族のために救いの道を示されました。それは長さ約一五〇メートル、幅二五メートル、高さ一五メートルというような巨大な箱舟です。中は三階建てになっていました。どれだけ大量の木材が必要だったことだろうかと思います。また箱舟に水が入ってこないように塗られたアスファルトの量も膨大なものだったことでしょう。その舟を作るためには莫大な費用も必要となったに違いありません。しかも、そのような舟を陸地に作るのです。どのようにしてその舟を港まで運ぶのかと人々はいぶかしがったに違いありません。しかし、多くの人々の嘲笑の中で、ノアは箱舟を作り、雨が降る前に神の御言によって箱舟に入ります。そして、ノアとその家族は滅びの中から救われたのでした。ノアは、神の言を聞いたとき、畏れかしこみつつ従ったのです。信じるとはまさに具体的な行動を伴うものです。
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ヘブル 11章8〜10節 2014年8月14日 |
信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。(8)
アブラハムは代々、カルデヤのウルに住んでいました。そして先祖たちは偶像に仕えていたのでした。カルデヤのウルというのは大国の首都、本当に文化・政治の中心地であり、メソポタミヤ文明が栄えた中心的な町の一つでしたから、アブラハムは非常に安定した豊かな生活をしていたことでしょう。しかし、アブラハムは神の言を聞きます。神の語りかけを聞いたとき、彼は立ち上がって従ったのでした。ここでヘブル書の記者は「行く先を知らないで」と言います。神が私たちに従うようにと求められるとき、神はその行くべき道の全行程を一度に示すことはされないかもしれません。とにかく一日一日、一歩一歩、主が導かれるところを従って行くのです。最終的にそれがどこにつながって行くのか、またなぜ、神が私にそのことを語られるのか、私たちに分からなくても、語ってくださる主が全部を知っていてくださると、主に信頼して従って行くのです。信仰とはまさに、そのような「信頼」なのです。
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ヘブル 11章11〜12節 2014年8月15日 |
信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束ををなさったかたは真実であると、信じていたからである。(11)
アブラハムが妻のサラや家の者たちを連れて、カルデヤのウルを出て、ハランにしばらくとどまりながらも、神の御声を聞いて再びその町を出て、カナンの地に向かう・・・その時点で、すでにアブラハムは七五歳、サラは六五歳でした。神がアブラハムに御声をかけられたとき、神が彼に約束されたのは、あなたを大いなる国民としよう」という約束であり、アブラハムの子孫を地のちりのように、空の星のように多くするということでした。しかし、それでなくても、すでに子どもができるのは難しい年齢になっていたアブラハムとサラでしたが、待っても待っても子どもができません。アブラハムとサラはサラのつかえめハガルによって子をもうけるということまでするのですが、神が約束されたのはアブラハムとサラに子どもができるということでした。しかし時は過ぎ、アブラハムは九九歳、サラも八九歳になります。けれでも、そんな彼らに、神は来年の今頃、サラには子どもがいるとおっしゃいます。「死んだも同然」と思われたサラが多くの民の母となったのです。
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ヘブル 11章13〜16節 2014年8月16日 |
しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである (16)
信じた結果、私たちが地上を歩む中で、神の約束が成就していくとは限りません。「信仰をいだいて死んだ・・・」という言葉に私たちは何を思うでしょうか。信じたにもかかわらず、彼らは待ち望み続けて地上の歩みを終えていったというのです。彼らの信仰は無駄だったのでしょうか。彼らはかわいそうな人々だったのでしょうか。いいえ、このヘブル書の記者は、彼らは地上のことを望み見て生きたのではなかったと言います。彼らにとって所詮この地上の歩みは旅であり、寄留者としての人生だった、彼らの考えていたこと、彼らが求めていたのは、天のふるさとだった、と言うのです。そして、彼らが信じて歩んだ通りに神はすばらしい都を彼らのために用意しておられました。私たちにとってもこの地上はふるさとではありません。神様は私たちのためにも都を用意してくださっています。
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ヘブル 11章17〜19節 2014年8月17日 |
彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。(19)
百歳のアブラハムと九十歳のサラに子どもが生まれたことは、まさに聞く人には冗談にしか思えないことであり、アブラハムたちにとってもただただ笑うしかないことだったことでしょう。神はまさにあり得ないことを彼らの人生にしてくださいました。まさに生まれた子どもイサクは彼らに喜びをもたらしました。彼らは心からイサクを愛していました。神もそのことをよくご存じだったはずです。しかし、神はアブラハムを試練に会わせられます。「あなたの愛するひとり子イサクをわたしの示す山で燔祭としてささげよ」とおっしゃるのです。神はイサクから出る子孫があなたの子孫だと言われていました。その子を献げろとはどういうことだろうか・・・アブラハムはひとり苦悩したことでしょう。けれども、アブラハムは次の朝早く起きて、ただ黙々と主の言に従います。ヘブル書の記者は、アブラハムは、イサクが死んでも神は彼を生き返らせることがおできになると信じたと言います。神を信じなければできない従順でした。
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ヘブル 11章20節 2014年8月18日 |
信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。(20)
イサクは四十歳になってリベカと結婚します。二人にはなかなか子どもが与えられませんでした。しかし、イサクが祈ったときに、神は彼らに双子の男の子を与えてくださいました。兄がエサウ、弟がヤコブです。神は二人がまだリベカのお腹にいたときから、弟のヤコブが祝福を受け継ぎ、兄は弟に仕えるようになると語っておられました。さて二人が生まれ育っていくと、双子であったにもかかわらず、二人はいろいろな面で対極的な存在でした。エサウは毛深く、ヤコブはなめらか、エサウは野山を駆け巡り狩りをするのが好き、ヤコブは家にいて母親の手伝いをし料理をするのが好き・・・。ただ父親としては兄エサウの方が波長が合ったようです。また世間的に言っても、当然祝福は長男のエサウが受け継ぐことは当然の流れと思われていたことでしょう。
しかし、イサクはヤコブを祝福します。そこにはヤコブとリベカとの策略もあったのですが、イサクはその背後にあって働かれる神のみ手のわざを知らなければなりませんでした。イサクは神の言を受け入れるという形で信仰に導かれて行くのです。
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ヘブル 11章21節 2014年8月19日 |
信仰によって、ヤコブは死のまぎわに、ヨセフの子らをひとりびとり祝福し、そしてそのつえのかしらによりかかって礼拝した。(21)
イサクから神の祝福を受け継いだヤコブの生涯も実に波乱に満ちたものでした。彼は、若い日に自分の父親をだましたのですが、後に彼は、伯父さんのラバンにだまされ、また自分の息子たちにもだまされることになります。苦労の多い人生でした。彼は自分の人生を振り返って「ふしあわせでした」とさえ言います。しかし、彼はエジプトの王パロのために祝福を祈り、自分の十二人の子どもたちのために神の祝福を祈ります。
もう一つの祝福の祈り、それはヤコブがヨセフの二人の子どもたちのために祈った祝福の祈りです。ヤコブは、ヨセフの二人の子どもたち、マナセとエフライムを特別に、自分の息子たちに加えます。ですから、後に、マナセとエフライムはイスラエルの一二部族に加えられることになります。ヤコブは祈る時、エフライムを長男のマナセよりも上に立てます。そして後に、エフライムは北イスラエル王国の核になる部族として大切な役割を果たしていくことになります。体は弱っても、ヤコブは子どもたちのために信仰によって祝福を祈ったのです。
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ヘブル 11章22節 2014年8月20日 |
信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出ていくことを思い、自分の骨のことについて指図した。(22)
エジプトの宰相になったヨセフは自分の父と兄弟、その家族をエジプトに呼び寄せて養います。そして父ヤコブはエジプトで死に、ヨセフはその遺体をカナンの地に運んで丁寧に葬ります。
ヨセフはエジプトで百十歳まで生きて臨終を迎えます。私たちからすると長寿なのですが、父ヤコブや兄弟たちに比べると短命だったようです。若い頃の苦労はやはり彼の肉体に負担になっていたのかもしれません。ヨセフは兄弟たちに遺言を残して息を引き取ります。
ヨセフの遺言は、やがてイスラエルの民は再び神の約束された嗣業の地に戻る日が来るだろう。その日には必ず、自分の遺体をエジプトから持って行って、父祖たちと共に葬るように、というものでした。
確かにエジプトの生活は豊かだったでしょう。そしてエジプトの宰相まで務めたヨセフは一度はエジプトに葬られます。しかし、ヨセフの信仰による遺言は、イスラエルの子らの内に語り継がれ、苦難の時に彼らを支えたのです。
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ヘブル 11章23節 2014年8月21日 |
信仰によって、モーセの生れたとき、両親は、三か月のあいだ彼を隠した。・・・彼らはまた、王の命令をも恐れなかった。(23)
モーセが生まれた時代は、イスラエルの民にとって非常に困難な時代でした。イスラエルの民の数が増え、強くなっていくのを恐れたエジプト王パロは、イスラエルの民を奴隷としてこき使いました。しかし、それにも関わらず、苦しみの中にあっても、ますますイスラエルの民が増えていくのを見たエジプト王パロは、イスラエルの国に男の子が生まれたら殺すようにと命じ、男の子が生まれたらナイル川に投げ込むようにと命じます。、イスラエルの民はすぐに数が減ることがなかったとしても確実に力を失っていくことでしょう。これはエジプト王の考えた策略でした。今もサタンは教会から、子どもたちを奪い取り、またキリスト者の家庭の子どもたちを奪い取ろうとします。それは確実に教会を弱体化させるでしょう。
しかし、モーセの両親は、王の命令を恐れず,その赤ん坊を守りました。これもまた信仰による勇敢な、行為でした。
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ヘブル 11章24〜26節 2014年8月22日 |
信仰によって、モーセは・・・罪のはかない歓楽にふけるよりは、、むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストのゆえに受けるそしりをエジプトの宝にまさる富と考えた。(24〜26)
モーセはエジプトの王女に拾われて、王女の子の一人として育てられました。彼はエジプト王家の中で、その当時最高の学問を身につけ、最高のぜいたくを経験しました。彼には、おとなしくエジプトの王女の息子としてエジプトの歓楽にふけって生きる道も開かれていました。しかし、。成人したモーセは、イスラエル人の一人として生きる道を選びます。エジプト王家の一員として生きるか、または奴隷とされたイスラエル民族の一員として生きるか。ある意味、イスラエルの一員として生きるという選択はこの世的には明らかに損で愚かな決断と言えるでしょう。しかし、モーセは信仰によって、その決断をしました。その決断には確かに苦難が伴うのですが、エジプトの富にまさる富がそこにはある、と信じたのです。そして、モーセは報いを望み見て生きたのでした。神の民の一人であることのさいわいを覚え、その富の豊かさが何ものにもまさるものであることを知って生きるお互いでありたいと思います。
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ヘブル 11章27節 2014年8月23日 |
信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えない方を見ているようにして、忍び通した。 (27) モーセは一度イスラエルを救うことに失敗して失意の中、ミデアンの野に逃れ、そこで家庭を築き、また羊飼いとしての四十年を過ごしますが、その後、神に召されて、もう一度エジプトに戻り、パロ王の前に立ちます。イスラエルの民を去らせよ、と言っても、ハイそうですか、と受け入れてくれるような相手ではありません。神はモーセを通して次々に十の災いをエジプトに下されます。何度も、王はイスラエルを解放することを約束しますが、災いが過ぎ去ると、すぐに心をかたくなにしてイスラエルを自由することを拒みます。モーセは何度もエジプト王の激怒にあいますが、繰り返し王の前に立ちます。モーセに恐れがなかったとは思いません。しかし、モーセは信仰によって行動したのです。
目の前には激怒し、モーセを脅し、大声で威嚇するエジプトの権力者がいました。しかし、モーセはもっと大きな力をもったお方、目に見えないけれども確かにそこに共にいてくださるお方を見ていたのです。
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ヘブル 11章28節 2014年8月24日 |
信仰によって、滅ぼす者が、長子らに手を下すことのないように、彼は過越を行い血を塗った。(28)
エジプトに下された十番目の災いは、エジプト中の初子が死ぬという災いでした。神は、イスラエルの家の初子が死なないように、モーセを通してイスラエルに一つのことを命じられました。それは小羊を殺してその血を家の入り口のかもいと両側の柱に塗るということでした。殺し滅ぼす使いがエジプト中を回る時、その小羊の血が塗られた家は過越したのです。
モーセとイスラエルの人々は神が命じられた通りにそのことを行いました。信仰をもって血を塗った家は救われたのです。これは後に、私たちのために流された主イエスの血をあらわしています。主イエスは私たちを救うために十字架の上で血を流してくださいました。信仰をもってこの血にすがる人は滅びることがなく、永遠の救いをいただくことができます。イスラエルの民がエジプトの奴隷生活から解放され自由にされたように、救われて罪から解放され、神の与えて下さる自由に生きる者とされるのです。
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ヘブル 11章29節 2014年8月25日 |
信仰によって、人々は紅海をかわいた土地を通るようにたった(29)
イスラエルの民がエジプトを出立してしばらくしてパロ王はイスラエルの民を解放したことを後悔して後を追ってきました。イスラエルの民が気づくと前には紅海が迫り、後ろからはエジプトの軍隊が追ってきていました。絶体絶命というシチュエーションです。イスラエルの民は悲鳴を上げます。
しかし、神はモーセを通して救いを告げられます。そして、それまで誰も見たことがなく期待も予想もしていなかったことが起こりました。紅海が二つに分かれ、そこに乾いた道ができたのです。人々はその道を通って向こう岸に渡っていきます。信仰による歩みというのは、単に神が自分の期待したことをしてくださると信じて進むということではありません。ある意味、神は私たちの思いを越えて、想像もしなかったことをしてくださるのです。エジプトの軍隊もその乾いた道を渡って追ってきました。しかし、イスラエルの民は神がそのこと2をして下さったことを知っていました。それを知って生きる、というところに信仰の世界があるのです。
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ヘブル 11章30節 2014年8月26日 |
信仰によって、エリコの城壁は、七日にわたってまわったTめに、くずれ落ちた。(30)
イスラエルの民はエジプトを出てから四十年の荒野の生活を経て、ついにヨルダン川を渡り、神が約束しておられたカナンの地に入って行きました。しかし、そこには高い城壁に囲まれた堅固な町々がありました。背が高く、多くの武器を持ち、戦いに慣れた民が住んでいました。しかも。ヨルダンを渡って最初の町エリコをどのように攻め、勝利していくかは、その後の続く戦いのためにも非常に重要なことだったと思います。
神はヨシュアに作戦を下さいました。それは城壁に囲まれたエリコの町を毎日一回、七日目には七回周り、叫ぶというものでした。そうしたら城壁は崩れるというのです。常識では考えられない話です。しかし、ヨシュアとイスラエルの民は忠実に神の言に従いました。最後の最後まで城壁の崩れる兆候は全く見られなかったことでしょう。しかし、信仰をもって従い通し、神の語られた通りにした時、城壁は本当に崩れ、イスラエルの民は最初の戦いで大勝利を得ることができたのです。
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ヘブル 11章31節 2014年8月27日 |
信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。(31)
遊女ラハブはエリコの城壁の中で生活していました。ラハブがどのような状況の中でそのような仕事をするようになったか聖書は何も語っていません。ある日、イスラエルの二人のスパイが彼女の所に潜り込んできました。エリコの町を探るためです。遊女の所にはその町の人々だけでなく、それ以上にいろいろな国々町々からエリコを訪ねる人たちも多く出入りしたでしょうから、その意味でも潜伏しやすいという事情があったのでしょう。しかし、スパイたちの潜入はエリコの王に気づかれていました。けれども、ラハブのところに兵たちがやって来た時、ラハブはイスラエルのスパイたちをかくまったのでした。そしてやがてエリコの城壁が崩れた時、スパイたちの教えたように、赤いひもが窓から下ろされている部屋に入っていたラハブとその親族は、救われたのでした。
ヘブル人への手紙の記者はこのラハブの行動を信仰によるものだったと記録しています。そして、このラハブは後にイスラエル人と結婚して、ダビデの先祖になっていくのです。
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ヘブル 11章32〜38節 2014年8月28日 |
彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ・・・(33)
ヘブル書の記者はここまで書いたら十分だろうというように話を進めます。旧約聖書の人物たちはまさに信仰によって生きたのです。彼らは、信仰によって歩み、主からの祝福と勝利をいただきました。信仰によって死んだ自分の子を生き返らせていただいた者さえいたほどです。
しかし、ここで記者は、信仰を持って歩んだらこの地上の生活において御利益があるよということを言おうとしているのではありません。もちろん、主は私たちの地上の歩みをも支えてくださいますし、肉体の必要にも答えてくださるお方です。しかし、私たちの信仰の生涯がこの地上だけで完結してしまうことを意味しません。
実際には、信仰を持って歩んだにもかかわらず、または信仰を持って歩もうとしたゆえに、様々な苦しみの中を通らなければならなかった人々が多くいたのです。彼らは多くの苦しみを経験し、多くのものを失って無一物になりながらも、神に信頼して生きたのです。
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ヘブル 11章39〜40節 2014年8月29日 |
これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。(39〜40) 確かに人間的・地上的には、信仰によってとてもある意味楽しく平安な生涯を送った人も、また苦難と悩みの中を通った人もあったことでしょう。しかし、旧約聖書の人物たちに共通することがありました。それは「信仰によって証しされたものは受けなかった」ということです。ある意味、私たちの信仰の歩みはリレーです。旧約の信仰の歩みは、新約の時代に生きる私たちに受け継がれています。そして、私たちはその信仰の歩みを引き継ぎながら、神が約束してくださった罪の赦しによる、救いの恵みに生きるのです。私たちがそのように歩むことが旧約の信仰者たちの歩みの実なのです。
信仰の歩みがリレーだというのは今も同じです。私たちは先輩たちから受け継いだ信仰の歩みをしっかりと歩み、またそれを次の世代に引き継いでいかなければなりません。私たちの存在が私たちの前に信仰の歩みをした人々に対する報いであり、約束の成就の一部なのです。
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