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ヘブル 6章1〜8節     2014年7月25日

そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。(1)

 初歩がきちんと受け止められないと、その上に立て上げることはできません。そして、キリスト教の初歩にはとても大きな恵みのメッセージがあり、豊かな祝福があります。しかし、そこにとどまっているとしたら、とても残念なことです。きちんとした土台を据えた上で、私たちはさらに完成に向けて進みます。神はさらに豊かな祝福を私たちのために備えてくださっているからです。
 6節の御言は、一度主イエスを信じた後に、罪を犯してしまったら救いの道はもうない、と言っているのではありません。このお方を受け入れ、その恵みを味わいながら、ことさらに神の呼びかけを拒み続けている者には厳しい裁きが臨むのです。私たちは信じたように生きるべきです。
 神の恵みの雨をいただきながら、いばらとあざみとを生えさせるような生き方をしてはいけません。神の恵みの雨をたくさんいただいて、神の喜ばれる実を結ぶお互いでありたいと思います。

ヘブル 6章9〜12節     2014年7月26日

しかし、愛する者たちよ。こうは言うものの、わたしたちは、救にかかわる更に良いことがあるのを、あなたがたについて確信している。 (9)

 パウロはここで手紙の読み手たちに非常に厳しい言葉で語りながらも、同時に、この手紙の読み手たちが、これまで示してきた愛と奉仕を思い起こしています。そして、神もまたその愛の労苦をお忘れになることがないと信じています。
 そして、必ずや、この手紙の読み手たちの上に主が「救いにかかわるさらに良いこと」をしてくださると確信するのです。
 神は私たちに豊かな祝福を約束してくださっています。しかし、その約束のものをいただくためには、熱意と、信仰と忍耐が必要です。しかし、同時に私たちがよい信仰者のモデルをもっていることは私たちへの大きな励ましとなります。信仰の先輩たちや模範となる人々をよく見て、その姿勢に学ぶということです。そして、今度は自分がまた後に続く人々のよい模範となることができるようにと思います。 

ヘブル 6章13〜20節     2014年7月27日

この望みは、わたしたちにとって、いわば、たましいを安全にし不動にする錨であり、かつ「幕の内」にはいり行かせるものである。(19)

 神はアブラハムに祝福を約束されました。そして、それだけでなく、その約束の確かなことを示すために、また誓いによって保証されたのです。私たちが受け取る祝福、それは「約束」と「誓い」によって二重に保証されています。そしてこの約束されたお方は偽ることのありえないお方なのです。
 人間の世界では「望み」とは多くの場合非常に不確かで頼りないものです。しかし、この神によって私たちの前に置かれている望みは決して空しいものではありません。このヘブル書の記者は、この望みは「たましいを安全にし不動にする錨」だと言います。どんなに風が激しく吹き、嵐が私たちをもてあそんだとしても、この「望み」に錨を降ろしていたら安全です。そして、この望みに生かされている私たちは、この望みによって、神に近づき、「幕の内」、聖所を仕切っている隔ての幕の内側、至聖所にまでも入って行くことがゆるされるのです。


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