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ヘブル 4章1〜13節 2014年7月21日 |
それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。(1) 神が世界を創造されたときに、神は七日目に休まれました。しかし、この七日目には神は何も造られなかったのではありません。まさに、この七日目に神は安息を創造されたのです。しかし、人は罪を犯し、不従順な心を起こして、神が備えてくださった安息に入ることを拒みました。彼らは確かに神の福音を、その御言を聞いたのですが、その聞いた御言が信仰によって彼らに結びつけられることがなかったのです。神の言は私たちの心の思いを明らかにしていきます。神の言ば単に聞いて終わりではなく、聞く者に、信仰と服従とを迫ってくるからです。
福音を聞き、そのメッセージを知った私たちは感謝と喜びをもってこれを受け入れ、畏れをもって主に仕えるべきです。「きょう」主の御声を聞いたら、「きょう」従いましょう。主は決して私たちに無理難題をふっかけたり、いじめようとしておられるのではありません。主は私たちに「安息」を備え、それを得させようとしておられるのです。
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ヘブル 4章14〜16節 2014年7月22日 |
だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。(16) 私たちは試練の中にあって苦しみ悩み、また自分の弱さに泣いたり、不安になったり、恐れを感じたりします。しかし、私たちには、もろもろの天を通って神の御前に立っていてくださる大祭司なる神の子イエスがいてくださいます。このお方は人となって地に降り、人としてこの地上を歩んで下さいました。この方は私たちと同じように試練に会い、私たちの弱さを思いやることのできるお方です。このようなお方が、天において、私たちのために神の御前に立っていてくださるのです。
このようなお方がいてくださるのですから、私たちは、はばかることなく神の御前に近づくことができます。「恵みの御座」とは昔の幕屋や神殿で、その一番奥の至聖所に置かれていた神の箱(契約の箱)のふたのことです。それは神の臨在を表すと共に、そこには毎年一回大祭司が近づいて小羊の血を注いでとりなしをしました。私たちは神の臨在の一番近いところまで近づいて、タイムリーな神の助けをいただくことができるのです。
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