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ヘブル 3章1〜6節 2014年7月19日 |
そこで、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たちよ。あなたがたは、わたしたちが告白する信仰の使者また大祭司なるイエスを、思いみるべきである。 (1) 昔モーセはエジプトで奴隷であったイスラエルの民のリーダーとしてパロ王と向き合い、神の力強い御手の中で民をそこから救い出しました。そして荒野での四〇年間、イスラエルの民を治め、神の御言を伝え、その民を導いていったのでした。モーセは神の民のために忠実に仕えました。
同じように、いやなおさら、キリストは私たちを罪の奴隷であったところから救い出し、単に救い出すだけでなく、救われた神の民であり、神の家である教会のために忠実に仕えてくださいました。
私たちにとって大切なことは、私たちに信仰の道を開き、その道を伝えて下さったお方、私たちのために大祭司として立っていてくださる主イエスをいつも思っていることです。そして、この忠実な大祭司である主イエスのゆえに、私たちの望み・誇りが失望に変わることはないのです。
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ヘブル 3章7〜19節 2014年7月20日 |
もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。(14) モーセの時代、エジプトの奴隷生活から救い出されたイスラエルの民は、しばしば神に背き、また神に信頼することを拒みました。特に、カデシ・バルネアから十二人のスパイたちが約束の地を行き廻って帰ってきたとき、十二人中十人が、あそこに攻めていくのは無理だ、約束の地は自分たちのものにはならない、神もそのことはできない、と不信仰を起こし、民全体がそれに同調しました。その結果、エジプトを出たイスラエルの民は四十年間荒野をさ迷うことになり、出エジプト時に二十歳以上だった民はヨシュアとカレブの二人以外は誰も約束の地に入ることはできませんでした。民が心をかたくなにし、信じることをしなかったからです。
このことは私たちに対する戒めでもあります。私たちは心をかたくなにしたり、不信仰を起こし、罪に惑わされて、最初の確信を捨てるようなことがあってはなりません。私たちは互いに励まし合いながら信仰の歩みを続けたいと思います。
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