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ヘブル 2章1〜4節 2014年7月16日 |
こんなに尊い救・・・(3) 昔、御使いたちを通して神がそのメッセージを伝えられ、人々がその御使いたちが伝えたメッセージを信じなかったり、従わなかったりしたときに、それにふさわしい裁きが加えられたとしたら、もし御子によって伝えられた救いのメッセージを拒むとしたら、それはどんなに恐ろしい結果を招くことでしょうか。
このヘブル書の記者は「こんなに尊い救」と言います。この救いは主が語られ、そして、主から直接聞いた人々によって、また次の人々に伝えられ、伝えられて、私たちにまで届けられています。また神は、この救いの確かなことを、多くのしるしによって、また私たち一人一人に与えられている聖霊によって証ししておられます。ここまで確かで、尊い救いをきちんと受け取らなかったら、それは単に残念というだけではすまないだろうと言うのです。 私たちは、御子にあって伝えられ、私たちに届けられたこの救いのメッセージをしっかりと心にとめていたいと思います。ヘブル書の記者は「そうでないと押し流されてしまう」と言います。せっかく提供されているこのメッセージをしっかりつかまなかったら、他には救いはないのです。
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ヘブル 2章5〜13節 2014年7月17日 |
ただ、「しばらくの間、御使たちよりも低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、栄光とほまれとを冠として与えられたのを見る。それは、彼が神の恵みによって、すべての人のために死を味わわれるためであった。(9) ヘブル書の記者はさらに、詩篇八篇を引用しつつ、人となってこの世に降り、しばらくの間、御使いよりもご自身を低くされたお方に、すべてのものが栄光を帰し、服従する様子を語ります。
このお方は単に人となって下さっただけでなく、死の苦しみを味わうことによって、私たちが救われ、栄光にあずかることができるようにしてくださいました。私たちはできるだけ苦しまないで死にたいと願うものです。しかし、このお方は極限まで死を味わって下さいました。そこに神の恵みがあらわされ、そして、信じる者たちを神の栄光にあずからせて下さるのです。
人となってくださったこのイエス・キリストこそが、その十字架の血潮で私たちをきよめてくださいます。しかし、この方は、まさに私たちの兄弟と呼ばれることをよしとしてくださいました。私たちは喜びをもってこの方を仰ぎ、このお方と共に歩んでいくのです。
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ヘブル 2章14〜18節 2014年7月18日 |
主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。(18) 私たちが血や肉を持っているように。私たちの兄弟となってくださった主イエスも血や肉を持った存在になってくださいました。それは「死の恐怖の奴隷」となっていた私たちを解放するためでした。死は、罪に対する裁きとして世に入って来ました。死は私たちを孤独と絶望に突き落とします。しかし、主イエスはその死の力を持つ悪魔を御自分の死をもって滅ぼしてくださったのです。
主イエスが人間になってくださったということには他の意味もあります。主イエスは私たちと同じ肉体をとって、私たちの大祭司となり、私たちのためにとりなしてくださるのです。このお方は様々な試練の中にあって苦しむ私たちを助けることができます。主も地上を歩まれた中で私たちと同じように試練にあってくださったからです。主イエスは神の子ですから、どれだけ試練が襲ってきても何ともなかったでしょうか。平然とその試練を打ち破って行かれたでしょうか。いいえ、主イエスも試練を受けて苦しまれたのです。だから試練の中にある私たちを助けることがおできになるのです。
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