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ヘブル 5章1〜10節 2014年7月23日 |
キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。(7) 大祭司は人間の中から選ばれて、人々のために神に仕える仕事に任じられていました。同じようにキリストも神の召しによってこの務めを負われたのでした。最初に引用されている聖句は詩篇二7の王なるメシヤの即位に関する約束の言葉ですが、主イエスはバプテスマをお受けになったとき、また、変貌山で姿が変わったとき、天からの声としてこの声を聞かれました。
また、キリストは人々のために神に仕えるために、人間の姿をとり、弱さを身に負って下さいました。キリストはこの地上にあって激しい叫びと涙とをもって神に祈られました。まさにキリストは私たちのために多くの苦しみを負ってくださったのです。キリストはその苦難の中にあっても深い信仰のゆえに聞き入れられました。このキリストの祈りは。主イエスのゲッセマネの祈り、また十字架上の祈りで頂点に達しています。このお方の祈り・信仰・従順のゆえに、私たちのための救いの道が開かれたのです。
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ヘブル 5章11〜14節 2014年7月24日 |
このことについては、言いたいことがたくさんあるが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。(11)
昨日の聖書の箇所にも「深い信仰」「従順」という言葉が出て来ました。信仰とは単に教理に同意するというだけのことではありません。信仰とは、神に信頼し、ゆだねて従うという「従順」と表裏一体です。そして、そのような信仰に生きるということは、御言に「聞く」というところから始まるのです。しかし、このヘブル人への手紙の著者はこの手紙を受け取る読み手たちに対して、あなたがたの耳は鈍い、と指摘します。だから、いつまでたっても信仰の基礎の部分から先に進むことができない、堅い食物を食べることができない、というのです。パウロは、読み手たちに神の恵みの深みについてもっと語りたいと願っています。しかし、彼らはいまだに、その信仰が、彼らの価値観や判断基準、また具体的な行動に生きていない・・・。初歩を繰り返し学ぶのはとても大切な事です。しかし同時に、私たちは耳を開いていただいて、神の語りたいと願っておられるメッセージをしっかり聞くことのできる者でありたいと思います。
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