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ローマ 16章1〜2節 2013年10月30日 |
どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。(2) ケンクレヤというのは、この手紙を書いたコリントの隣町です。パウロはこのケンクレヤの教会の女性執事であったフィベをローマの人々に紹介しています。そしてこのフィベがローマにこの手紙を持って行ったのだろうと言われています。
教会では最初の時代から、女性が教会の中で大切な役割を担うことがありました。ただそのことは当時の社会の中では特筆すべきことであり、必ずしもすべての世界で受け入れられることではなかったでしょう。そのような意味でも、パウロは「聖徒たるにふさわしく主にあって彼女を迎え」るようにと書き送る必要があったのだと思います。
フィベは「多くの人の援助者」でした。彼女は自分が与えられている賜物を用いて、人々を生かしていったのです。パウロも彼女に援助されていたことがありました。それは金銭的なことだけはなかったでしょう。私たちができる援助はないでしょうか。
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ローマ 16章3〜16節 2013年10月31日 |
彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。(4) 一世紀の教会において聖書に名前を残した女性がまた出て来ます。プリスカです。プリスカは妻でありアクラが夫でした。この二人はパウロが初めてコリントの町で伝道をした時に、彼を自宅に受け入れ、またパウロと一緒に仕事をしながらパウロを支えました。その後、パウロの伝道旅行に同行したことも分かっています。しかし、この時には彼らはローマにいたのです。パウロはこの夫婦について「わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれた」と言います。
また「あなたがたのためにひとかたならず労苦したマリヤ」「私と一緒に投獄されたことのあるアンデロニコとユニアス」「わたしたちの同労者ウルバノ」「主にあって労苦しているツルパナとツルポサ」「主にあって一方ならず労苦したペルシス」・・・こういった表現は、パウロと同じように苦しみを経験し、パウロの宣教を支えてくれた兄弟姉妹たちがいたことを思わせます。パウロだけではありません。私たちもまた多くの兄弟姉妹たちに支えられているのです。
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ローマ 16章17〜20節 2013年11月1日 |
さて兄弟たちよ。あなたがたに勧告する。あなたがたが学んだ教にそむいて分裂を引き起し、つまずきを与える人々を警戒し、かつ彼らから遠ざかるがよい。(17) パウロは手紙の締めくくりにあたり、多くの人々の名前をあげて「よろしく」と挨拶を書き連ねながら、思い出すようにしてもう一つ勧告の言葉を書き加えています。それは教会に対する外からの迫害だけでなく、忍び込んでくる異なる教えが教会の中に分裂を引き越すことへの警戒から出た言葉です。
その当時、教会は、信仰だけではなく律法の行いがないと救われないと主張する律法主義的な教えや、また霊と肉を分けて、霊は救われているのだから肉は何をしてもいいのだというような二元論的な教えにさらされていました。純朴なだけでは足もとをすくわれかねない、という危機感がパウロにはありました。
私たちは自分の歩みを点検しつつ、どれだけうまい言葉を使っていても、キリストに仕えるのではなく、結局は自分の腹に仕えている・・・というような教えに対して敏感でありたいと思います。
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ローマ 16章21〜27節 2013年11月2日 |
長き世々にわたって隠されていたが、今やあらわされ、・・・信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、(26) ここでパウロはこの手紙を書いている自分のそばにいる人々の挨拶を書き加えます。テモテはパウロと共に伝道旅行をしながら、パウロから多くのよい感化を受けていました。
この手紙は他の多くのパウロの手紙もそうだったように口述筆記で書かれました。そしてローマ人への手紙の筆記者はテルテロでした。パウロには多くの助け手・支える仲間がいたのです。
そしてパウロはこの手紙を神を讃える祈りで閉じていきます。主イエスの十字架による救いはまさに隠されていた奥義でした。しかし、今や、これはイエス・キリストによって明らかにされ、パウロの働きによって世界中に宣べ伝えられてきました。それは信じる者に救いが与えられるというすばらしい知らせ、福音です。パウロは一章でも使った「信仰の従順」という言葉をここでも使います。キリストに対する信仰は必ずこのお方への従順をもたらすからです。 |
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