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ローマ 4章1〜8節     2013年9月7日

しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。(5)

 パウロはここで、旧約聖書からアブラハムの例を取り上げます。神は、アブラハムの行いではなく、信仰を義と認めてくださったのです(創世記十五6)。アブラハムの物語は創世記一二章から始まります。神は彼を召し、彼を祝福の基とするとおっしゃり、彼とその子孫に祝福を与え、地を受けつがせると約束されます。しかし、アブラハムにはいつまでたっても子どもができませんでした。けれどもそのような時に、「あなたの子孫はあの星のようになる」とおっしゃった神の言を、彼は信じたのでした。
 何かをしたから、というような報酬として救いを与えられるのではありません。彼は信じたゆえに義とされたのです。罪深い自分を義としてくださるお方を信じた、その信仰を神は認めてくださったのです。
 続いてパウロは詩篇三二篇のダビデの悔い改めの詩篇を引用しつつ、行いによってではなく信仰によって義とされるさいわいを語ったのでした。

ローマ 4章9〜25節     2013年9月8日

彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。(17〜18)  

 さて、ここでパウロは問います。アブラハムが信仰によって義と認められたのは、割礼を受ける前だったか、後だったか。実はアブラハムが割礼を受けたのは創世記十七章でした。ですから、アブラハムは無割礼の時に神に義と認められたことになります。そのようにして、アブラハムは、その子孫であるユダヤ人たちにも、また割礼を受けていない異邦人たちにも、信仰の父となったのです。
 アブラハムは何を信じたのでしょうか。望み得ないような状況の中で、人間的には死んだも同然という自分の状況を見ながらも、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのです。この神が約束されたことを必ず成し遂げてくださるということを信じたのでえす。
 私たちもまた、主イエスをよみがえらせてくださった神を信じます。主が私たちのために死に、よみがえってくださったことを信じる人は、罪が赦されて、アブラハムと同じように義とされるのです。



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