chuo@8008amen.com


バックナンバー

旧約聖書
新約聖書
マタイによる福音書
マルコによる福音書
ルカによる福音書
(章) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
  11 12 13 14 15 16 17 18
  19 20 21 22 23 24
ヨハネによる福音書
使徒行伝
ローマ人への手紙
コリント人への第一の手紙
コリント人への第二の手紙
ガリラヤ人への手紙
エペソ人への手紙
ピリピ人への手紙
コロサイ人への手紙
テサロニケ人への第一の手紙
テサロニケ人への第二の手紙
テモテへの第一の手紙
テモテへの第二の手紙
テトスへの手紙
ピレモンへの手紙
ヘブル人への手紙
ヤコブの手紙
ペテロの第一の手紙
ペテロの第二の手紙
ヨハネの第一の手紙
ヨハネの第二の手紙
ヨハネの第三の手紙
ユダの手紙
ヨハネの黙示録
ルカ 19章1〜10節     2012年11月23日

きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。(9〜10)

 財産のある者が神の国に入るのは難しい、とおっしゃった主イエスですが、ここではエリコの町にいた金持の取税人を救いに導かれます。主イエスがエリコに立ち寄られた時、人々は主イエスを熱狂的に迎えます。その町にいた取税人の頭ザアカイもイエスさまを見たいと思いました。けれども彼は背が低かったので、見ることができません。そこで彼は前に走って行って、いちじく桑の木に登り、主イエスが来られるのを見ていました。しかし、主イエスはその木の下に来た時に、上を見上げてザアカイに声をかけられます。今晩ザアカイの家に泊まることにしている、というのです。ザアカイは喜んで主イエスを自分の家に迎えます。
 主イエスがザアカイの家に泊まったことはその町の人たちにとても不評でした。けれどもその日を境にザアカイが変わったことに人々はすぐに気づいたことでしょう。主イエスはザアカイを尋ねだして救ってくださったのです。

ルカ 19章11〜27節     2012年11月24日

主人は言った、「よい僕よ、うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから、十の町を支配させる」。(17)

 マタイ二五章のタラントのたとえでは主人は僕たちに五タラント・ニタラント・一タラントを預けて旅に出たのですが、ここでは三人がそれぞれ一ミナを預けられています。一ミナは百デナリで、百日分の労賃に相当する額でした。私たちは一人一人が違う賜物を与えられている部分と共に、すべての人に同じように与えられている賜物もあります。その代表的なものは時間でしょう。一日の時間はみな二四時間で変わりません。それをどのように有効に使うことができるかはその人その人で違うでしょう。ある人は十ミナを儲け、ある人は五ミナを儲けます。儲けるのがどれだけうまかったかが問われ、評価されているのではありません。評価されたのは、忠実にそれを用いたかどうかです。ですからその一ミナを包んでしまっていた僕は厳しく叱責されます。なぜ彼はそれを用いなかったのでしょうか。彼が主人を厳しく、恐ろしい方としか思っていなかったからです。神が恵みに富んだ方だということが分かってくると、失敗を恐れることなく、喜んで忠実な生き方をするようになるのです。

ルカ 19章28〜40節     2012年11月25日

主がお入り用なのです。(34)

 主は先頭に立ってエルサレムに上って行かれます。ここにも自ら十字架に向かって行かれる主のお姿、その覚悟が表されています。主はエルサレムに入城される時に、普通王たちが用いる馬ではなく、まだ誰も乗ったことがないろばの子をお用いになります。ある意味、それは滑稽な図でもあります。しかし、それはロバの子でなければならなかったのです。それはゼカリヤ書の成就であり、主イエスが平和の王であるしるしであり、そして、主のためだけにささげられたものであるということを示すものでした。「主がお入り用なのです」と言って、そのろばの子は連れてこられました。私たちにも主は、「主がお入り用なのです」と声をかけておられます。主に喜んで献げる者でありたいと思います。時間やお金や奉仕もそうですが、それ以上に、自分自身を主にささげるお互いでありたいと思います。
 主イエスを賛美する弟子たちを誰も止めることはできませんでした。主イエスはまさに王の王、主の主なるお方だからです。 

ルカ 19章41〜48節     2012年11月26日

彼らに言われた、「『わが家は祈の家であるべきだ』と書いてあるのに、あなたがたはそれを盗賊の巣にしてしまった」。(46)

 エルサレムの東側にあるオリブ山からは、エルサレムの町全体が見渡せます。主イエスは都に近づくにつれて、その都のために泣かれるのでした。主は、エルサレムが神の都でありながら、そこに今、来ようとしておられる主を受け入れないこと、そしてその都がまもなく滅びようとしていることを知っておられました。そして実際にその神殿は紀元七〇年にローマ軍によって徹底的に破壊されてしまいます。
 主はその宮に入られた時、そこで商売をしていた人々を追い出されます。商売人たちがお店を広げていたのは聖所の外側の婦人の庭の、さらに外側の「異邦人の庭」と言われる広いエリアでした。最初は彼らは遠くから旅をして来る人たちの便宜を図るために、ささげものにする動物を売り、また献金用のお金に両替をしていました。しかし、いつの間にか彼らは自分たちが儲けることが第一になり、また異邦人の庭で祈る人たちの邪魔になっていたのです。ここは「祈りの家」と主はおっしゃったのでした。


礼拝メッセージ
毎週日曜日の
礼拝での
メッセージから


生活の処方箋
日々を楽しく過ごす
ためのヒントが
ここに