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ルカ 16章1〜13節     2012年11月10日

小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。(10)

 主イエスは弟子たちに「不正な家令」のたとえ話をされます。この家令のしたことはとんでもないことです。けれども主イエスはまるでこの家令をほめておられるかのように聞こえます。
 このたとえのポイントはここです。この家令は自分が任されていることを利用して、自分が首になった時に、自分を迎えてくれる人・場所を確保しました。彼はそのお金・立場を一番賢く使ったのです。この世の富を賢く用いたと言えます。それは直接、永遠の祝福につながるようなことではありません。ただ、そのような小さな事に忠実な人は、大きな事、真の富に対しても忠実な生き方をすることができるのです。
 たとえば、教会で主によく仕えようとする人は、家や職場・学校でも忠実な生き方をすべきです。この世の生活において忠実に生きることができない人が、神の前に忠実に生きることができるとは思いません。

ルカ 16章14〜18節     2012年11月11日

あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。(15)

 主イエスは前の箇所で、この世の生活において忠実であることを教え、また、神と富とに金使えることはできないと教えられました。欲深いパリサイ人たちは主イエスをあざ笑います。彼らは自分たちは神に仕えているのだという自負がありました。ですから神に仕えること以外は他の人にまかせる、または手を抜くのは当たり前と考えたのです。
 また、彼らは神に祝福された人は豊かな富を持っていると考えましたから、金儲けにつながる宗教生活をいつも考えていたことでしょう。
 彼らはいつも自分は正しいと考えていました。そしてそのように主張し、そのように人の前で見せていました。しかし、主イエスは、神はあなたがたの心をご存じだとおっしゃいます。人にどう見られ、どれだけ尊ばれるかではありません。神の恵みにすがり、隠れたところでも真実に生きることを主は求めておられるのです。

ルカ 16章19〜31節     2012年11月12日

アブラハムは言った、「もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう」。(31)

 ここでも金持ちが登場します。その当時の多くの人々は、豊かな人は神に祝福をいただいていると考えました。ですからこの金持ちの家の残飯をあさるようにして生きているラザロは神に捨てられているということになります。けれども実際には違いました。ラザロはアブラハムのふところに行き、金持ちは火炎の中で苦しむことになりました。彼は確かに金持ちだったでしょう。けれども彼はゆだねられた富を正しく用いることをせず、ただ自分の欲を満たすためだけに使っていたからです。審判の時が来ます。その時になって後悔しても遅いのです。
 この金持ちは苦しみの中で家族のことを思い起こします。このままでは自分の家族も同じような苦しみを経験しなくてはいけなくなる。その金持ちはラザロを自分の家族のところに遣わしてほしいと懇願します。
 しかし、アブラハムが答えたのは、すでに「モーセと預言者」(旧約聖書)が与えられているのだから、それを信じるべきなのだということでした。


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