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Tコリント 9章1〜14節 2013年11月27日 |
わたしは、ほかの人に対しては使徒でないとしても、あなたがたには使徒である。あなたがたが主にあることは、わたしの使徒職の印なのである。(2) パウロは主イエスが選ばれた十二弟子の中には入っていませんでした。パウロが主イエスに出会ったのは主イエスの十字架・復活の後です。主イエスはすでに昇天しておられました。明らかにパウロは厳密な意味での「十使徒」ではありませんでした。ですから、特にパウロが異邦人社会において教会のスポークスマンのようにふるまい、教会を指導しているのを快く思わない人たちは、パウロは使徒ではない、と言ったのです。
「使徒」という言葉の元々の意味は、「遣わされた者」という意味です。パウロはダマスコ途上で復活の主イエスに声をかけられ、直接、福音宣教の使命を託されていました。パウロにとって自分の使徒性を否定されるということは自分が主イエスと出会ったこと自体をも否定されるような思いになったのでしょう。また実際にパウロの使徒性を否定する人たちはパウロが教える信仰による救い自体を否定しようとしていたのです。パウロにはそれは許せないことでした。コリントに教会があるということ自体が、まさにパウロの使徒性の動かぬ証拠だったのです。
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Tコリント 9章15〜18節 2013年11月28日 |
わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。(16) パウロは主イエスの弟であったヤコブやユダ、またペテロのような使徒たちと違って、独身でした。またパウロ自身、福音を伝える務めに生きる者が福音によって生きていく、つまり教会からサポートされていくということについて何の問題も感じていません。それはある意味、当然のことです。しかし、パウロは結婚していませんでしたし、またコリント教会から報酬を得ることもしませんでした。
パウロにとって福音宣教はいわゆる職業ではありませんでした。また福音宣教に熱心であることがパウロの自慢の種になることもありませんでした。パウロは、福音を伝えないではいられなかったのです。それはパウロに与えられた務めであって、福音を伝えなかったらわたしは災いだ、とさえ、パウロは言います。
おそらくこのようなパウロの姿勢は、パウロ自身が教会の迫害者であったときに、救いの恵みにあずかったということが土台にあったのでしょう。そして、この福音宣教は、私たちに与えられた務めでもあるのです。
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Tコリント 9章19〜23節 2013年11月29日 |
福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。(23) パウロは福音の宣教者としての使命を与えられていました。そして、まさにパウロはその使命に生きていました。さてパウロはどのように福音を伝えていったのでしょうか。それは頭ごなしに福音を語り、自分の使命は一応果たした、と自己満足に浸ることではありませんでした。
パウロは一人でも多くの人たちに福音を伝えるために、すべての人に仕える者になりました。たとえばユダヤ人にはユダヤ人のように、弱い人には弱い人のように、すべての人にはすべての人のように。私たちが福音を伝える時に、まず伝えようとする相手に寄り添い、相手に聞き、相手の友となるということはとても大切なことです。
パウロは何とかして幾人かを救うために、「福音のためにどんなことでもする」と言いました。それがパウロにとって福音に生きるということであり、福音を伝えることによって、パウロ自身も福音にあずかることになったのです。
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Tコリント 9章24〜27節 2013年11月30日 |
あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。(24) パウロはここでスポーツの例話を出して語ります。競走とボクシングのたとえです。競走に参加する人は、決して趣味でジョギングしているのでばありません。競走に参加するからには賞を得るために全力を尽くすのです。そして、冠を得るためにトレーニングを積み、また節制してレースに臨みます。
また、ボクシングをする人もただ手を振り回していればよいというわけではありません。目標をしっかりと定め、苦しい減量をしたり、厳しい練習をします。
パウロにとって福音宣教はそれと同じでした。それは単に自分の趣味ではなく、まさに朽ちない冠を得るための戦いでした。実際、パウロは様々な迫害に遭い、また様々な苦難を経験しました。しかし、それは真剣勝負に勝つための避けることのできないプロセスでした。これは遊びではなく、戦いなのです。だから時に、自分の体をむち打つようにしながら、必死で戦います。なぜ、それができたのか、それは、朽ちない冠を得るためだったのです。
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