バックナンバー
|
マタイ 1章1〜17節 2018年9月16日 |
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。(1) マタイによる福音書は主イエスの系図から始まります。この系図はまさに旧約聖書と新約聖書の橋渡しをするものです。この系図に触れるときに、私たちは、主イエスが確かに旧約聖書の土台の上に、神の約束の通りに来てくださったことを再確認します。神はアブラハムに約束し、ダビデに約束されたように、祝福をもたらすお方として、また王の王として、この世に来てくださったのです。
この系図には多くの名前が連ねられています。アブラハムからダビデを通って主イエスに至る系図には実に多くの人々の具体的な生涯がありました。そこには信仰者もいれば、神に罪を重ねた人もいます。遊女やモアブの女もいます。今で言えば週刊誌を飾るゴシップのような事件を犯した人物もいます。その間には王の時代もあれば、バビロン捕囚の時代もあります。しかし、救い主を送るという神の約束は決して失われてしまうことなく、本当に実現したのです。
|
マタイ 1章18〜25節 2018年9月17日 |
彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。(21) マタイは主イエスの誕生について、マリヤの物語ではなく、ヨセフの物語を書き記します。ヨセフと婚約していたマリヤは聖霊によって身重になりました。けれども、マリヤの真実をどうして信じることができるでしょうか。ヨセフはマリヤが身重になってことを知った時、大きな悲しみをもってマリヤを離縁しようとします。しかし、そんなヨセフに、主は御使いを遣わして、心配しないでマリヤを妻として迎えるようにと語られます。そして御使いは、その子が聖霊によるものであること、男の子であること、その子の名はイエスであること、そしてその子が民を罪から救う者であることを告げたのでした。この救い主のもたらす救いとは、イスラエルに政治的な解放と繁栄をもたらすことではなく、まさに罪からの救いであることが告げられたのです。そして罪のゆるしをもたらす主イエスによって、インマヌエル(「神われらと共にいます」)の約束が成就したのです。
|
|
|