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マタイ 4章1〜11節 2018年9月22日 |
イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。(4) ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた主イエスは御霊によって荒野に導かれます。そしてそこで悪魔の誘惑を受けられました。第一の誘惑は石をパンにするという誘惑、第二の誘惑は宮の高い所から飛び降りるという誘惑、第三の誘惑はサタンの前にひれふし拝むという誘惑でした。
ただこれらの誘惑は根っこの部分ではつながっています。十字架で私たちの罪を身代わりに負って苦しみ、罪からの救いをもたらすという、十字架の道を避けさせようとする誘惑でした。サタンは、人々が求めているのはパンであって十字架ではないと迫り、また人々が求めているのは十字架の救い主ではなく、人々を驚かし、あっと言わせる救い主だと語りかけ、またサタンにひれ伏すことが人々に届く近道だと誘うのでした。しかし、主は御言をもってサタンに勝利されます。まさに御言こそが私たちにいのちを与え、またサタンに対する勝利を与えるのです。
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マタイ 4章12〜25節 2018年9月23日 |
イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。(19) バプテスマのヨハネが捕らえられたというニュースは主イエスに自分の宣教の時が来たことを知らせるものでもあったのでしょう。主イエスはガリラヤ湖畔の町カペナウムに移り住んで宣教を始められます。このカペナウムは主イエスの宣教の基地となり、主イエスはカペナウムから出発してカペナウムに帰るということを繰り返していかれます。
主イエスの公生涯の働きは、23節にあるように、「教え」と「宣教」と「力ある業」に集約することができます。しかし、同時にもう一つのとても大切な働きは弟子の訓練でした。主イエスは弟子たちに声をかけて召し出し、彼らを育てられたのです。主イエスが選ればれたのはいわゆるエリートたちではありませんでした。ここには四人の漁師たちが召し出された話があります。主が彼らを「人間をとる漁師にしてあげる」とおっしゃったとき、彼らはすべてをそこにおいて主イエスに従ったのでした。主は私たちのことも招いておられます。
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