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マタイ 19章1〜12節     2018年12月8日

彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない。(6)

 イエスさまがユダヤの地方に行かれたとき、パリサイ人たちが近づいてきて尋ねました。「夫が妻を離縁するのはさしつかえないか」という問いでした。これは主イエスに対するわなでした。離縁してもよいと答えられたら、立場の弱い女性たちの信頼を失うことになるでしょうし、離縁してはいけないと答えられたら、モーセがそのことを許しているのにモーセと違うことを教えていると糾弾することができるのです
 しかし、主イエスはモーセが「妻を出す場合には、離縁状を渡せ」と言ったのは、安易な離婚をさせないためだったと教えます。それは許されているだけで、神が願っておられる本来のあり方ではありません。この時代、女性たちは夫の申し出だけで離縁され、その後の生活はとても厳しいものになっていました。そして、後に続く弟子たちの言葉にもあるように、その当時の男性たちはそれが当然と考えていたのです。しかし、主は結婚について「ふたりではなく一体」「神が合わせられたもの」と語られ、安易な離婚をいさめられたのでした。

マタイ 19章13〜15節     2018年12月9日

するとイエスは言われた、「幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である」。(14)

 人々が主イエスに祈ってもらおうとして、子どもたちを連れてやってきました。しかし、主イエスの弟子たちはそれをたしなめます。確かに、主イエスのもとには多くの人たちが集まり、またひっきりなしに休む暇もないほどに様々な求めをもって近づいてきました。弟子たちとしては、メシヤである主イエスを自分たちが守らなければという思いがあったでしょうし、また、まさに王として旗揚げしようとしてる主イエスが子どもに関わっている暇はない、とも思ったかもしれません。
 しかし、主イエスは、幼な子たちが自分のもとに来るのを止めてはならないと語られます。主イエスは子どもたちがご自身のところにやって来るのを本当に喜ばれたのです。そして心を開き、何の邪心もなく、信頼して主イエスのところに集まってくる幼な子たちに「天国はこのような者たちの国」と語られたのです。主は彼らの上に手を置いて祝福してくださいました。主は子どもたちを愛しておられます。 

マタイ 19章16〜30節     2018年12月10日

イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。(26)

 ある一人の人がイエスさまのところに近づいてきました。続くやりとりから、彼がとても真面目な青年であったこと、また資産家であったことが分かります。ただ彼には永遠の命を持っているという確信がありませんでした。何が足りないのだろうか・・・彼はイエスさまのとのころに来て尋ねます。主は戒めを守るようにと教えられました。そして十戒の第五戒から後ろの、人間関係に関する部分を指し示されます。けれども、彼は言います。「それはみな守ってきました」。それに対して、主は、あなたの持ち物を全部手放して、従ってくるようにと語られたのでした。それはまさに人間関係の正しいあり方の土台になるべき神との関係を正す問いであり、あなたは神を愛しているか、というチャレンジであったと思います。彼は悲しみながら立ち去ります。
 彼の後ろ姿は主イエスにとっても心の痛むものでした。主は「富んでいる者が天国に入るのはむずかしい」とおっしゃいます。私たちにはできないのです。「神にはできる」とおっしゃる主にすがりたいと思います。



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