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使徒行伝 1章1〜3節 2019年12月7日 |
イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。(3) 今日から使徒行伝に入ります。この書物は「テオピロよ」という呼びかけで始まります。使徒行伝は、テオピロという人物に献じられたもので、ルカによる福音書の続篇です。福音書は主イエスの生涯とその教えについて書いていますが、この使徒行伝は、主イエスが復活・昇天された後、教会がどのように始まり、その働きを展開していったかが記されています。
主イエスは苦難を受けて死なれましたけれども、三日目によみがえってくださいました。しかし、主イエスはすぐに天に帰られたのではなく、四十日にわたってたびたび弟子たちにご自身をあらわされました。それは、自分が確かによみがえって生きていることを示すためでした。また主イエスはこの四十日間に弟子たちに神の国のことを教えられました。神の支配がどのようなものであって、そこに生きるということがどういうことかをさらに弟子たちに語るためにこの時が必要だったのです。
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使徒行伝 1章4〜8節 2019年12月8日 |
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。(8) 主イエスが復活から昇天までの四十日間になさったもう一つのことは聖霊を待ち望むように教えるということでした。弟子たちは、復活の主イエスに出会い、その意味では、自分の見たこと聞いたことを証言することができたでしょう。しかし、主イエスは弟子たちに、エルサレムから離れないで、父なる神が約束通りに聖霊を下さるのを待つように教えられました。私たちには動かないで、約束を信じて待たなければならない時があります。
主イエスがこの地上を去って、天に帰っていかれる最後の時にも、そこでおっしゃったことは、聖霊の約束でした。聖霊が与えられる。その時にはあなたがたは力を受けて、わたしの証人となる。エルサレムから地の果てまで、そのようになるだろうとイエスさまは約束されたのです。聖霊が与えられて、証人になるようにがんばるというのではありません。主は私たちを、主イエスの証人としてくださるのです。
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使徒行伝 1章9〜11節 2019年12月9日 |
「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。(11) 使徒行伝の中にも、「天に昇り」という一節があります。もちろん、主イエスの福音において、十字架と復活がそのメッセージの中心であることは間違いありません。しかし、主イエスが天に昇られたということもまた大切なことです。主イエスが昇天されることによって、天から聖霊が来てくださることになっていましたし、主イエスが高く上げられることによって、確かにこのお方が主の主、神なるお方であることが明らかになりました。そして、主イエスが天に帰られることによって、主イエスは父なる神の右に座して、私たちのためにとりなしてくださいます。
それだけではありません。主イエスの昇天は、やがて同じように主イエスが雲に乗って再臨されるということを待ち望ませるしるしでもありました。そしてこの主イエスの昇天の時からずっと教会は主イエスが救いを完成し、私たちを迎えるために帰って来られることを待ち望んでいるのです。
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使徒行伝 1章12〜14節 2019年12月10日 |
彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。 (14) 主イエスが昇天された後、弟子たちはエルサレムに戻り、泊まっていた屋上の間に集まって祈り始めました。「泊まっていた屋上の間」というのは、弟子たちが主イエスの十字架・復活の時、宿をとっていた家であり、さかのぼると、最後の晩餐の時に、主イエスと弟子たちが過越の食事をした二階の広間のことではないかと言われています。そしてこの家は後に、パウロの宣教を助けたマルコの実家だろうとされています。
そこに集まったのは、主イエスの弟子たちだけでなく、主イエスの兄弟や母マリヤ、その他、主イエスを慕い、主イエスに従って来ていた百二十人ほどでした。彼らは心を合わせて、ひたすら祈っていました。主イエスの弟子たちは、いつも集まると誰が一番偉いかを議論しているような人々で、心を合わせるのが難しい人たちだったかもしれません。しかし、彼らは祈る中で心一つにされていきました。祈ることが得意な人たちではなかったと思います。しかし、彼らはひたすら聖霊を求めて祈ったのでした。
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使徒行伝 1章15〜26節 2019年12月11日 |
それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。(26) 聖霊を待ち望んで祈っていた時に、弟子たちはもう一つ大切なことをしました。それはイスカリオテのユダが主イエスを裏切り、自殺してしまったために全うすることができなかった使徒職を担う代わりの人を立てるということでした。この使徒職を担い、復活の証人として生きるための条件の一つは、他の使徒たちと同じように、主イエスの公生涯の初めの時期から共に行動していたということでした。候補者としてヨセフとマッテヤが選ばれました。そして、そこに集まっていた人たちは祈ってくじを引きます。マッテヤが選ばれて11人に加えられたのでした。
ここで集まっていた人たちは祈って結論を出し、そして出された結論を教会もマッテヤも、そしてくじにはずれてしまったヨセフも受け入れたのでした。人間的にはバルサバ、ユストとも呼ばれていたヨセフのことが気になります。ただこのように名前をあげて記録が残っているということは、おそらくこのヨセフも教会の中で知られていて、忠実な歩みをしたのだろうと思います。
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