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マタイ 14章1〜12節 2018年11月20日 |
そこでヘロデはヨハネを殺そうと思ったが、群衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからである。(5) バプテスマのヨハネは、人々に救い主の到来を告げ、主を迎える備えとして、悔い改めるようにと教えました。ヨハネは人々の顔色をうかがってメッセージを変えるようなことはありませんでした。ですから領主ヘロデが自分の兄弟の妻ヘロデヤを自分の妻としたとき、ヨハネは「それはよくない」と語ったのでした。
ヘロデにとって領主である自分に、あなたは間違っていると言うなどとんでもないことでした。しかし、そうでありながら、ヘロデはヨハネを殺す事はできませんでした。ヨハネを慕う群衆が、暴動を起こすことを心配していたのでしょう。またヘロデ自身も自分が間違ったことをしているということに気づいていたのかもしれません。けれども、ヘロデは悔い改めることをしないまま、ついにはヨハネを殺してしまいます。ヘロデはそれを拒むこともできたのですが、自分のメンツ、人々の目や評価を気にしたのです。かたくなになって悔い改めることを拒み、人の言葉や人の目に振り回されて生きる生涯の悲しさを思います。
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マタイ 14章13〜21節 2018年11月21日 |
みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。(20) 主イエスはバプテスマのヨハネの殉教のニュースを聞いたときに、時が動いていることを感じられたのかもしれません。主イエスご自身も祈りたいと思われたのでしょう。寂しいところに行かれます。ところが主イエスを求める群衆は町々から後を追ってきたのでした。結果として、主イエスが舟から上がられた時には、人々が先回りして主イエスを待ち受けていました。主イエスはそのような人々の姿の中に魂の飢え渇きを見られたのでしょう。主は、彼らを深くあわれまれたのでした。
主イエスの弟子たちも群衆のことを心配していました。それはそこが寂しいところであったからです。群衆を解散させたほうがよいと考えた弟子たちに、主は「あなたがたの手で食物をやりなさい」と語られます。ただ彼らの手元にあったのはパン五つと魚二匹だけでした。しかし、これが主の手の中で祝福された時、みんなが満腹し、なお余るというすばらしい奇跡が起こりました。そして弟子たちもその奇跡に参与したのでした。
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マタイ 14章22〜33節 2018年11月22日 |
しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。(27) 五つのパンと二匹の魚の奇跡は群衆を熱狂させたことでしょう。それは荒野でイスラエルの民にマナが与えられたときのモーセを思い起こさせるもので、主イエスが来るべきメシヤであることを確信させるものでもあったからです。しかし、主イエスは自らを人々の熱狂にゆだねることをなさらないで、群衆を解散させ、また弟子たちも舟に乗せて送り出し、自らは山に登って祈っておられたのでした。
舟に乗って向こう岸に向かっていた弟子たちは、逆風に悩まされていました。そこに主イエスが海の上をあるいて近づいてこられました。幽霊だと、叫び、恐れる弟子たちに主イエスは「しっかりするのだ、わたしである」と声をかけてくださいました。そして波を見て、怖くなって、沈みかけたペテロをつかまえて、彼を助けてくださったのでした。
主は、今日も決して沈むことのない方として、私たちの前に立っていてくださいます。「わたしである」と声をかけてくださるお方を仰いで力強い歩みをしていきたいと思います。
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マタイ 14章34〜36節 2018年11月23日 |
そしてさわった者は皆いやされた。(36) 主イエスと弟子たちが着いたのはゲネサレの地でした。ガリラヤ湖の北西部の町だとされています。その土地の人々が主イエスが来られたと知って、付近の町々村々にもその知らせを伝えます。人々は主イエスのところに病気の人を次々に連れてきました。
確かに主イエスは体の病気の癒しがすべての問題の解決につながるとは思っておられませんでした。人間にはもっと大きな問題があるからです。しかし同時に主は、体の病が私たち人間にどんなに大きな痛みをもたらし、悩みをもたらすかも知っておられました。そしてご自分のところに押し寄せる人々の求めに答えられたのでした。
四重の福音という言葉があります。それは聖書が私たちに約束している救いの豊かさを表すものであり、新生・聖化・神癒・再臨がその内容です。この三つめが「神癒」、神は私たちの病をいやし、私たちを健やかにしてくださることができるというメッセージです。
主イエスのところに信仰の求めをもってやってきた人たちはみないやされました。主イエスは愛と力に満ちておられるからです。
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