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マタイ 3章1〜12節 2018年9月20日 |
だから、悔改めにふさわしい実を結べ。(8) 主イエスはガリラヤのナザレに戻った後、大工ヨセフの長男として、大工仕事をしながら、両親に仕え、また弟妹たちを支えられました。主イエスが家を出て、宣教の働きを始めたのは、およそ三十歳の時です。さて、イエスさまがご自身を世にあらわされる前に、バプテスマのヨハネがその活動を始めます。彼は、神が約束された救い主の到来が近いことを告げ、救い主をお迎えする準備をするようにと呼びかけます。
ヨハネが語ったのは悔い改めの勧めでした。メッセージとしてはとても厳しいメッセージであり、素直に聞くことが難しいような勧めだったと思います。またヨハネがそのメッセージを語っていたのは人が住んでいないようなヨルダン川のほとりでした。しかし、人々は続々と集まって来て、罪を悔い改め、ヨハネからバプテスマを受けました。ヨハネが語ったのは、ただ神に謝るということではなく、悔い改めにふさわしい生活をするということでした。そしてヨハネは人々の心を主に向けさせたのです。
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マタイ 3章13〜17節 2018年9月21日 |
すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。 (16〜17) 主イエスはガリラヤを出て、ヨルダン川にやってこられました。そしてバプテスマのヨハネのところに来て、バプテスマを受けようとされました。ヨハネのバプテスマは悔い改めのしるしとしてのバプテスマでした。自分が罪を持っていることを認めて、主にゆるしときよめを求めるのです。その意味では神の子であり、罪のないお方であった主イエスはヨハネからバプテスマを受ける必要はなかったと言えます。
しかし、主イエスは自分がバプテスマを受けることは正しいことだとおっしゃいました。まさに主イエスはこのバプテスマを通してご自身を罪人と同じ立場においてくださったのです。
主イエスがバプテスマをお受けになったときに御霊が鳩のように下り、天から声がしました。それは主イエスが王として、またしもべとして、神の約束の通りに来られた救い主であることをあらわしていました。
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