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マタイ 18章1〜14節 2018年12月5日 |
よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。(3〜4)
「天国では誰が一番偉いか」・・・それは弟子たちにとって大きな関心事でした。主イエスの弟子である自分たちは新しい主イエスの支配する世界の中で、それなりの地位を得ることができるはずだ。それでは自分たちの中では誰が主イエスに次ぐナンバー2の地位を得られるか、ということはとても重要なことです。主イエスからはっきりと言質を得ておきたいとどの弟子も思っていたことでしょう。
しかし、主イエスの答えはとても衝撃的なものでした。幼な子を呼び寄せて、この幼な子のように自分を低くする者が天国で一番偉いとおっしゃり、また幼な子のようにならなければ、そもそも神の国に入ることさえできないとおっしゃるのです。そして主イエスは幼な子をつまずかせることのないようにと弟子たちに語られます。幼な子が偉いなどとは夢にも思わず、幼な子を軽く見ることの多かった弟子たちに、誰が偉いか、と論じている場合ではない、と言うかのように警告を与えられたのです。
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マタイ 18章15〜20節 2018年12月6日 |
また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。(19) 主イエスは小さい者のひとりが滅びることさえ、決して願ってはおられません。そうではなく、罪人が悔い改めて神のもとに帰ってくることを願っておられるのです。だから、「あなたの兄弟が罪を犯すなら」と主は語られます。まずはその人と二人だけのところで忠告しなさい。それでも聞いてもらえなかったら、他にひとりふたりを連れていって警告しなさい。それでも悔い改めることがなかったら、教会でその人に向き合いなさい、というのです。それはひとりの兄弟を失わないためです。
主イエスはまたここで二人の人が心を合わせて祈ることの大切さを語られます。ここでは「どんな願い事についても」と語られるのですが、それは決して独りよがりで自分勝手な祈りでも答えられるということではなく、二人の人が心を合わせることができることが条件になります。特にここでは、罪を犯している兄弟のために、心を合わせて祈るということが求められているのです。
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マタイ 18章21〜35節 2018年12月7日 |
わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか。(33) 「あなたの兄弟が罪を犯している場合」にその人のためにも見て見ぬ振りをするのではなく、祈りつつ向き合うことの大切さが語られました。それではその兄弟の罪が、私たちに被害を与えるものであったらどうでしょう。ペテロは「兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか」と問いました。主イエスは「七たびまでですか」と問うたペテロに「七たびを七十倍するまで」とおっしゃいました。それは何回でも赦し続けるように、ということだったと思います。
主イエスはここで1万タラントの借金をゆるされた人が、百デナリの借金をゆるさなかったというたとえを語られます。1タラントは六千デナリです。1デナリは1日分の給金ですから、1タラントは約二十年分の給料ということになります。天文学的な額です。それをゆるされた。それは私たちが神の前に負っている罪の負債の大きさをも示しています。しかし神はそれをゆるしてくださった。だから私たちも兄弟の罪をゆるすのです。
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