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マタイ 16章1〜12節     2018年11月28日

そこでイエスは言われた、「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」。(6)

 パリサイ人とサドカイ人は共に主イエスの時代の宗教家たちでしたが、考え方は全く違いました。パリサイ人たちがとても純粋で真面目だったのに対して、サドカイ人たちは神殿礼拝に関わる仕事をしている祭司やレビ人たちが中心で、とても現世的であり、また権力にしがみつくところがありました。ただパリサイ人とサドカイ人は、主イエスを追い詰めるということにおいては手を組んでいました。彼らは主イエスのところに来て、主イエスが神から遣わされた存在であるとしたら、しるし(証拠)を見せてほしいと言ったのでした。主イエスは、そのようなしるしを見たら信じるというようなあり方を「邪悪で不義だ」とおっしゃいました。 
 そして、弟子たちに対して、パリサイ人やサドカイ人の教えに気をつけるようにと教えられたのでした。しるしを求める人たちは、実は、しるしを見ても信じないのです。信じない心はパン種(イースト菌)のようにその人の生き方全体に影響を及ぼしていきます。幼な子のような信仰を持ち続けるお互いでありたいと思います。 

マタイ 16章13〜20節     2018年11月29日

あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。(18)

 主イエスは弟子たちを連れてピリポ・カイザリヤに行かれました。そこはガリラヤ湖の北、ヨルダン川の源流にあたる異邦人の地です。主イエスはこの時、弟子たちとだけ特別な時を過ごしたいと願っておられたのでしょう。主イエスは弟子たちに、人々がご自身のことをどう言っているかをまず尋ねられてから、弟子たちに問われます。「それでは、あなたがたはわたしをだれというか」。この問いは主イエスが私たちに問うておられる問いでもあります。ペテロの「あなたこそ、生ける神の子キリストです」という答えは、主イエスが旧約聖書に約束された救い主だというだけでなく、まさに生ける神の子が私たちのためにメシヤとして来てくださったのだという告白でもありました。主イエスは、このペテロの信仰告白を土台として、「わたしの教会を建てる」とおっしゃいました。死の力も罪の力も、この信仰告白を土台として主イエスが建て上げられる教会を倒すことはできないのです。

マタイ 16章21〜28節     2018年11月30日

それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。(24)

 ペテロの信仰告白は主イエスの公生涯の折り返し点となりました。まさに、主イエスはこの信仰告白を聞いて、ご自身の地上の歩みが大きな転機に来ていることを知られたのです。これ以降、主イエスは十字架への道をどんどん進んで行かれることになります。受難の予告を始められたのもこの時からです。主イエスは確かにメシヤでした。ただペテロも、その時代の人々も、メシヤに対して、ローマに勝利する政治的・軍事的リーダーを期待していました。しかし、神が遣わされた救い主は、私たちの罪を負って、苦しみを受ける受難のしもべでした。
 主イエスが受難の予告を始められたとき、ペテロはそのことを受け入れることができませんでした。主イエスはペテロを「サタンよ、引き下がれ」と叱りつけられます。十字架を避けさせようとするペテロの背後にサタンの働きを見られたのです。そして、主は私たちをも十字架の道に招いておられます。人間的な成功・成長を第一に求める道は、私たちを祝福に導かないのです。



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