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ヤコブ 4章1〜10節 2014年9月21日 |
そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。(7)
私たちは日々霊的な戦いを戦います。私たちは確かに主イエスを信じた時に救われ、主の恵みの中に入れられ、天国の希望に生きる者とされました。しかし、この地上を歩んでいる間は、弱さのゆえに罪にひかれてしまうことがあるのです。ヤコブはそれは「欲情」から来る、と言います。自分を第一にし、自分の快楽を求めて生きる時、私たちはいつまでたってもその求めるものを得ることはできません。神に従って生きる他に、本当の豊かさや満足を得る方法はないのです。
しかし、私たちはしばしば神に従うのはまるで損であるかのように考えてしまいます。私たちは、神がどんなに私たちを愛し、また大きな恵みを注ごうとしてくださっているかを忘れてはいけません。
へりくだって神に恵みを求め、神に従って悪魔に立ち向かうことです。神は私たちに勝利を与え、豊かな恵みwお与えになることができるからです。
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ヤコブ 4章11〜12節 2014年9月22日 |
兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。(11)
主イエスもおっしゃいましたが、自分の過ちはなかなか見えないものですが、人の過ちはそれはそれは大きく見えるものです。誰かが、神に背いて罪を犯しているときには向き合うことが必要です。しかし、その人に対する愛と祈りなしに断罪することは主をお喜ばせすることではありません。また同時に考え方やそれぞれの持っている背景の違いからくる弱さや違いをことさらにあげつらって裁き合うことも、主イエスが教会に願っておられることではありません。
特に共に主を信じ礼拝する兄弟姉妹の悪口を言ったり、陰で批判することは厳に慎みたいと思います。それは教会を建て上げることにはなりませんし、またその相手の兄弟姉妹を生かすことにはつながりません。審判者なるお方はただお一人です。誰も主に代わって人を裁くことはできません。人の弱さに気づいたときにはその人のために愛をもって祈りとりなすと共に、自分も同じような過ちを犯していないか点検したいと思います。
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ヤコブ 4章13〜17節 2014年9月23日 |
人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。(17)
捕らぬ狸の皮算用・・・ということわざがありますが、私たちは明日のことも分からない存在です。もちろん、私たちは長期の計画を立てます。計画も考えもなく、ただその日その日をなりゆきにまかせて生きるというよりも、ビジョンに向かって、それでは今、何をしなければならないかを考えて行動するということはとても大切なことです。しかし、ここで確認しなければならないのはそれが自分から出た、自分の利益だけを求めるような計画か、神から出たビジョンかということです。私たちは謙虚でありたいと思います。もし、主が許し、そのみこころの中で自分を生かしてくださるなら・・・そこには自分の生涯が神のみ手の中にあるという信仰があります。そして、そのようなビジョンと謙虚さの中で歩んで行く時には、たとい自分の生涯が途中で終わることがあったとしても、必ずそのビジョンを受け継いでいく人が起こってくるはずです。主が与えて下さるビジョンの中で、今日私に求められている事を誠実にしていきたいと思います。
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