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ヤコブ 3章1〜12節 2014年9月19日 |
わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。(9)
ヤコブは舌を制御することにつて語っています。私たちの歩みの中でも言わなくてもいいことを言ってしまったと後悔することがあることでしょう。舌は小さい機関ですが、大きな働きをします。もちろん、舌は神を告白し、賛美し、また祈りをささげ、主イエスを伝えるためにも用いられますが、同時に、舌は人を批判したり、悪口を言ったり、呪ったり、不平を言ったりつぶやいたりということもできるのです。そして、舌を制御できないために、大火事のように大きな災いを自分に、また自分の周りに、もたらしてしまうことがしばしばあります。
舌は、神を賛美するために主が造られたものです。その舌を、神が造られた人を呪うために用いるのはおかしなことです。ただ、だから舌の過ちに気をつけましょう、という以上に、自分でコントロールできないことを認めて、神に自らの舌をきよめ、治めていただこうではありませんか。
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ヤコブ 3章13〜18節 2014年9月20日 |
しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。 (18)
知恵があるというなら、それを「柔和な行い」によって示すようにとヤコブは言います。知恵を得るのは楽しいことです。しかし、同時に、パウロも警告したように、多くのことを知り、分かるようになることは、私たちを誇らせます(Tコリント八1)。せっかくの知恵が私たちを滅びに導いてしまうことがあるのです。
ヤコブは地につく、肉に属する悪魔的な知恵があると言います。そこには、ねたみや党派心、忌むべき行いが伴います。しかし、上からの知恵があります。それは神に与えられるきよい知恵です。この知恵は、寛容・温順・あわれみに満ち、そこに平和をもたらしていくのです。上からの知恵はねたみや党派心をもたらすことはありません。
一章でヤコブが言ったように、神の知恵を求めたいと思います。そして、神から与えられる知恵によって平和をもたらすことのできるお互いでありたいと思います。
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