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テトス 2章1〜10節 2014年7月9日 |
あなた自身を良いわざの模範として示し、人を教える場合には、清廉と謹厳とをもってし、非難のない健全な言葉を用いなさい。(7〜8) 信仰をもっていると言いながら、実質が伴わない人々がいる中で、パウロはテトスに対して、「しかし、あなたは」と語り、健全な言葉を語るようにと勧めます。曲がったことを語り、曲がった生き方に人々を導くような教師たちも多くいたからです。
パウロはテトスに、年老いた人々に、また若い人々に、そして奴隷たちに、どのように語り、どのように教えるべきかを語ります。ここで求められているのは「健全」であることです。歪んだ信仰、歪んだ歩みではなく、バランスを保ち、人を生かすような信仰生活を歩みたいと思います。パウロはテトスが人々の前に良い模範として歩むことを通して、人々をよく教えることができるようにと願っています。そのように教えられた人たちは、また次の人々に対して良い模範として生きることができることでしょう。もし私たちが自分の聞いたように語り、また自分で聞いたように生きていなかったら、神の言がそしりを受けることになってしまうからです。
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テトス 2章11〜15節 2014年7月10日 |
このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。(14) 「すべての人を救う神の恵みが現れた」。神が備えてくださった救いの時が来ました。この「恵み」は決して何かいいことがあるから・・・ということを告げるのではなく、私たちに悔い改めるようにと迫り、また新しい歩みをするようにと迫ります。そしてやがて来るキリスト・イエスの栄光の出現を待ち望ませます。
そのために、キリストはご自身を献げてくださいました。そして、その死によって不信心とこの世の情欲の中に生きていた私たちを罪と不法の力から解放してくださったのです。そして、そればかりでなく、主は私たちをご自身のものとして聖別してくださいました。「聖別」とは、神のために用いる特別なものとして取り分けるということです。私たちは恵みによって聖なる神の聖なる民とされ、罪から離れ、よいわざに熱心な民として生きていくのです。
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