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エペソ 6章1〜2節     2014年3月31日

子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである・・・父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。 (1、2)

 出エジプト記二十章の十戒にも「あなたの父と母とを敬え」という戒めがあります。これは十の戒めの第五番目であって、人間関係に関する戒めの最初に来るものです。それは親は子に対して、神の権威を象徴する存在でもあるからです。ですからこの戒めには「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きながらえる」という約束が伴っています。もちろん、それは、早く亡くなる子は親不孝したからだというのではありません。また、虐待を行う親など、言いなりになってはいけないケースが多くあるのも事実です。ただこれは一つの大事な原則です。
 ですから 親にもまた大きな責任が負わされています。子どもをいらいらさせることなく、主の薫陶と訓戒によって子どもたちを育てるということです。時には厳しいことも言わなければならないこともあるでしょう。しかし、愛と育てる心・忍耐をもって子どもたちに向き合っていくことが大切なのです。 

エペソ 6章3〜9節     2014年4月1日

僕たる者よ。キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい。 (5) 

 ここで「僕」と言われているのは「奴隷」とも訳される言葉です。この当時のギリシャ・ローマ世界においては自由人と共に、多くの奴隷がいて社会を支えていました。この「奴隷」は十九世紀アメリカの奴隷制度のようなものとは違っていて、兵役以外の仕事はほとんどの仕事が奴隷にゆだねられていたと言われています。そして、奴隷であっても自分でお金を貯めて、自由の身になることさえあったといいます。ただ、人権を奪われて牛馬のように働かされるということでなかったとしても、奴隷が主人の所有物であり、主人に仕えるべき者であったいことは確かです。
 聖書は、その身分によって人間の価値に差があるとは言いませんし、奴隷制を推奨し支持しているわけでもありません。しかし、同時に、ここでパウロは社会変革をたくらんでいたのではありませんでした。かえって、パウロはクリスチャンになった奴隷たちに、キリストに従うように、主人に従い、仕えるようにと勧めています。そして同時に、主人たちにも奴隷の人権を重んじるようにと勧めるのです。それは主人も僕も同じ主の御前にいるからです。

エペソ 6章10〜17節     2014年4月2日

最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。 (10)

 最後に・・・とパウロは書きます。パウロはエペソ教会の人々の置かれている状況が決してやさしいものではないことを知っていたからです。パウロ自身もエペソでは死に直面するような危機を通りました。教会が教会として命をもって育っていった時に、アルテミス女神の信奉者たち(実際には民衆を扇動した中心人物・銀細工人デメテリオの本心は、最近アルテミス神殿の模型の売り上げが落ちているのはパウロたちのせいだ、というとても欲丸出しのものでしたが)の激しい反対にあいました。
 パウロはこれからも教会が多くの戦いを経験しなければならないことを知っています。しかし、ここでパウロはエペソ教会の人々に警告を与えます。戦うべき相手は目に見える人間ではありません。私たちは目に見えない悪の力と戦っているのです。私たちはこの敵を決して甘く見るべきではありません。だからこそ、わたしたちは「主にあって、その偉大な力によって」強くされる必要がありますし、御霊の武具をしっかりと身につける必要があるのです。

エペソ 6章18〜20節     2014年4月3日

また、わたしが口を開くときに語るべき言葉を賜わり、大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように、わたしのためにも祈ってほしい。(19) 

 パウロはエペソ教会のキリスト者たちに、単に自分が悪魔にやられないためにしっかりお祈りするようにと言っているのではありません。私たちはお互いに、お互いのために祈り合うべきです。教会のお互いのために、また違う教会で信仰を守る一人一人のために、祈ってください。そして。同時に自分のためにもまだ会ったこともない人々も含めて多くの兄弟姉妹たちが祈っていてくれることを知りたいと思います。私たちが今日も支えられているのはそのような多くの祈りがあるからなのです。
 そして、パウロはここで、「わたしのためにも祈ってほしい」と言います。パウロは決して自分は先輩で、偉大な神学者・使徒であるから自分のためには別に祈らなくてもよいとは言いません。かえって謙虚に「祈ってほしい」と言います。教会の中でも、「私のために祈ってください」という声が方々から上がるとよいと思いますし、そのような交わりが生まれてほしいと思います。パウロはどんな時にも自分が大胆に福音を語ることができるようにと、祈りを求めたのでした。

エペソ 6章21〜24節     2014年4月4日

わたしがどういう様子か、何をしているかを、あなたがたに知ってもらうために、主にあって忠実に仕えている愛する兄弟テキコが、いっさいの事を報告するであろう。 (21)

 ここでパウロは手紙を締めくくるに当たって、他の事についてはテキコが報告してくれるからね、というようにこの手紙を閉じていきます。まだ郵便制度などがない時代です。パウロは自分の信頼するテキコにこの手紙を託して届けてもらったのです。テキコはエペソ書だけでなく、コロサイ書も持ち運んだことが分かっています。テキコはアジア州の出身で、エペソやコロサイの町に知り合いを多く持っていたのでしょう。パウロが信頼しているだけでなく、アジア州の人々からも信頼されているテキコをパウロは手紙の運び屋として選んだのです。
 「主にあって忠実に仕えている愛する兄弟」とパウロはテキコを紹介します。テキコは使徒二十4によれば、パウロの第三次伝道旅行の最後の部分、エルサレムに向かっていく旅程に同行していることが分かります。ローマの獄中にいるパウロのそばにも寄り添っていたテキコの姿に彼の忠実さを見るように思います。


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