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エペソ 3章1〜6節 2014年3月19日 |
それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。(6)
パウロは神からの啓示によって奥義を知らされました。この奥義は、パウロが自分で考え出したものではなく、旧約聖書の中にすでに示されていたことでした。確かに、旧約の時代の人々は、預言者たちの言葉を聞いても、それを理解することも想像することもできなかったに違いありません。主イエスが来てくださって、その十字架・復活によってその御業を全うし、約束の聖霊が注がれてはじめて、人々は旧約聖書の時代から神が語ってこられたことの意味が分かるようになったのです。
その奥義とは、ユダヤ人だけでなく、異邦人もまたキリスト・イエスにあって神の約束にあずかる者、共に神の国を嗣ぐ者とされるということでした。まさに、神の約束の外にいると考えられていたエペソの人々にも、主イエスによる罪のゆるしと救いが与えられたのです。パウロはこの奥義を知ったとき、どのような苦難があったとしても、喜びをもってこの福音を伝えずにはいられませんでした。
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エペソ 3章7〜13節 2014年3月20日 |
すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、(8)
パウロは福音を熱心に伝えたために、患難の中にありました。彼はローマの獄中にあって、囚人としてこの手紙を書いています。しかし、パウロはエペソの人々に落胆しないようにと語ります。パウロが苦難の中にあるのは、パウロが主に与えられた使命に生きている証拠でもあったからです。その使命とは、キリストによって、異邦人にも確信と喜びをもって大胆に神に近づく道が開かれたというよい知らせを伝えることした。異邦人たちもまたキリストの無尽蔵の富にあずかる者へと招かれているのです。そしてそのようなパウロの働きによって、この良い知らせはエペソにも届けられました。
しかしパウロは、そのような務めに生きていることを決して自慢しません。彼は自分のことを「聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたし」と言います。パウロは命がけで伝道していても決してそのことを鼻にかけません。まさに、彼が福音の僕として生きているのは、神の恵みによるものであることを知っていたからです。
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エペソ 3章14〜19節 2014年3月21日 |
また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。(19)
パウロはここでエペソ教会の人々のために父なる神に祈ります。パウロがまず祈ったのは、「あなたがたの内なる人が強くされるように」ということでした。人からすぐに見える外側ではなく、内側が強くされ、変えられるようにということです。そして天の父はその栄光の富によって、私たちを強くしてくださいます。
パウロが次に祈ったのは、エペソの人々が神の愛の大きさを知ることができるように、ということでした。それはまさに、キリストが私たちのうちにいてくださる時に実現します。そして、私たちがキリストの愛を知るためには、私たちが具体的に愛するという決断をし、その歩みを積み上げていくことが求められています。
パウロがさらに祈ったのは、キリストの愛を知ったエペソの人々が、神に満ち満ちているあらゆるよいものによって満たされるようにということでした。私たちもパウロの祈りを自分のために、そして愛する兄弟姉妹のために祈りたいと思います。
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エペソ 3章20〜21節 2014年3月22日 |
わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかた・・・(20)
パウロはこの祈りを神を讃える頌栄で結びます。パウロが讃えるのは、今も、私たちのうちに生きて力強く働かれるお方です。そしてこのお方は、私たちが求め、思うところの一切をはるかに越えて与えることができるのです。私たちは、神にいろいろなことを期待して、祈り求めます。けれども、神は、私たちが祈った祈りをかなえてくださるだけではありません。はるかに越えて答えてくださるのです。私たちがどれだけ大きな求めをしたとしても、神の目から見たら、私たちの求めはまことに小さいものでしょう。私たちは知恵においても力においてもとても小さく、限界を抱えています。だから、私たちは神に対しても小さな期待しかできません。けれども神は大きなお方です。そして、また私たちの思いや計画や期待をはるかに越えて、私たちに惜しみなく与えてくださるのです。
そして、私たちはキリストをかしらとしたこの教会において、このお方を心から崇め、賛美するのです。
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