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Tテサロニケ 2章1〜12節 2014年5月20日 |
このように、あなたがたを慕わしく思っていたので、ただ神の福音ばかりではなく、自分のいのちまでもあなたがたに与えたいと願ったほどに、あなたがたを愛したのである。(8) パウロのテサロニケ伝道は非常に厳しいものでした。しかし、パウロは神の信任を受けて福音を託された者として、激しい苦闘の中にあっても福音を語っていったのでした。それは決して自分がほめられたり勢力を広げたりということではなく、神に喜ばれるためでした。
彼は「母がその子どもを育てるように」愛を注ぎ、、また「父がその子に対してするように」真実をもってテサロニケの人々を育てたのでした。
単に福音を手渡し、伝えたということでなく、パウロは自分のいのちまでも与えたいと思うほどに、テサロニケの人々を愛し、彼らに仕えたのでした。まさにここに伝道の鍵があります。伝道とは単に、キリスト教の教理を提示してそれを受け入れることを迫るということではありません。私たちのために、文字通り、命を捨ててくださった主イエスを指し示す者として、人々を愛し、命を注いでいくことなのです。
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Tテサロニケ 2章13〜16節 2014年5月21日 |
そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。(13)
最初、パウロがテサロニケの町を訪ねたのは、パウロの第二回伝道旅行の時でした。パウロはピリピでの伝道に続いてテサロニケを訪ねそこで宣教にあたりました。ピリピとは違ってテサロニケにはある程度の数のユダヤ人たちが住んでいたらしくユダヤ教の会堂がありました。パウロはその会堂で、主イエスのことを聖書に基づいて語っていきます。そして、パウロたちが聖書を語った時に、テサロニケの人々はまさに彼らの語る言葉を神の言として聞いたのです。神の言を神の言として聞く時に、神の言は信じる者たちの間に働いて神の業を起こしていきます。そのようにして迫害にも関わらずその町に主の教会が建ち上がっていったのです。
私たちにも聖書の御言が与えられています。聖書を読むとき、また教会で御言を解き明かす説教を聞くとき、講義や教訓や、または昔話としてではなく、また誰か他の人に語られている勧めとしてではなく、自分に語られている神の言葉として聞き、受け入れてください。神の言葉は信じる者たちのうちに生きて働くのです。
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Tテサロニケ 2章17〜20節 2014年5月22日 |
実際、わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇の冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。あなたがたこそ、実にわたしたちのほまれであり、喜びである。(19〜20) パウロがテサロニケにいたのは三回の安息日にあたる期間に過ぎません。そのような短期間に信じる者たちが生まれ、教会の基礎ができていきました。ユダヤ人だけでなく、信心深いギリシャ人たちや貴婦人たちまでもが主イエスの信仰へと導かれて行くのを見て怒ったのは、主イエスを受け入れるのを拒んだユダヤ人たちでした。彼らは町に騒ぎを起こし、パウロたちやその協力者たちを町に訴えたのでした。パウロは町から出て行かなければなりませんでした。
しかし、パウロはテサロニケの教会のことをいつも心にかけていました。パウロは危険を顧みず、またテサロニケを訪ねようとするのですが、その道は開かれません。けれどもそれはパウロがテサロニケ教会をないがしろにしていたということではありませんでした。パウロはテサロニケの人々のことを「わたしたちのほまれであり、喜び」と言いました。パウロにとってはどんな勲章や賞賛にまさって、主を信じる群がそこにあるということが最大の喜びだったのです。
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